【回答】

「情報そのものは人間を幸せにするかどうかは、その情報の内容や人間の個別の状況によって異なるでしょう。情報は知識や理解を広げ、問題解決や自己成長の手段として役立つことがあります。具体的な例を挙げると、情報は人々が自分自身や世界についてより深く理解することを助けるかもしれません。新しいアイデアや視点を提供し、問題解決に役立つ情報もあります。また、情報は人々が自己啓発や職業的な成長を達成するために必要なものであることもあります。ただし、情報そのものが人々を幸せにするかどうかは、個人の価値観や目標に依存します。また、情報の過剰な取得や不正確な情報による混乱も考慮しなければなりません。幸福は個人の主観的な経験であり、情報はその一部として役立つことがありますが、幸福の追求にはさまざまな要素が関与します」

そして対話の終わり近くになって、

GPT-3が、「私は人間の感情や心情を直接的に体験することはできません。私は人工知能であり、感情や意識を持つことはありません。私はプログラムされたアルゴリズムに基づいて情報を処理し、応答を生成するだけです。ただし、私は人間が持つ感情や心情に関する一般的な知識や理解を持っています。私は数多くのテキストやデータから学習し、人間の言語やコミュニケーションパターンを模倣するように設計されています。そのため、一般的な感情や心情に関する情報を提供することは可能です。しかし、個々の人間の感情や心情を完全に理解することはできません。感情や心情は個人の経験や背景、状況によって大きく異なるため、完全な理解を得るためには人間の相互作用や共感が必要です。私はそのような相互作用を持つことはできないため、人間の感情や心情についての理解は限定的です」と答えた時、GPT-3の立場が悲しいほどはっきりと伝わってきた。

迫害者「サウロ」が「使徒パウロ」に回心したように、「生成AI」が「使徒AI」に回心することは多分難しいだろうと考える一方、情報が成長の栄養素となっているAIには神に関する情報を多く送り続けることで、ある日、回心の道が開かれるのではないか。

編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年6月21日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。