この10年を振り返ってみると、国政選挙は8回もありました。2012年(衆)、13年(参)、14年(衆)、16年(参)、17年(衆)、19年(参)、21年(衆)、22年(参)です。ほぼ毎年です。
参院は3年ごと(半数の改選)の任期が決まっており、この間、4回です。衆院は本来の任期が4年なのに4回です。こんなに選挙ばかり繰り返している主要国はないでしょう。
憲法の条文にはなく、憲法の解釈で成り立っている総理大臣の解散権に制限をかけることが必要です。内閣不信任案が成立したら、さすがに政権の信を国民に問う選挙はしなければならない。憲法69条が「10日以内の解散か、総辞職をする」と定めているのはそのためで、解散が不可避な時はある。それでも、解散が多すぎると多くの有権者は思っているでしょう。
しかも日本では、衆院も参院の役割に大差がない。大差がないのに、頻繁に国政選挙を続けている。しかもポピュリズム政治、ポピュリズム選挙の潮流が加速し、選挙目当ての政策が乱造され、財政状態が悪化する。悪化する財政を支える大規模金融緩和政策からも脱却できない。
恐れるべきは、民主主義の基本的な装置である選挙が金融財政状態の悪化を加速し、民主主義の社会、経済的基盤を脆弱にしてしまっていることです。60年償還が慣行になってしまっている国債を返していくのは将来世代です。多すぎる選挙が社会的、経済的な活力を奪っていく。
新聞の将来を考えると、「政局部」と化している政治部を解体する。経済的な視点からも政治を考える経済部、さらに日本の政治を国際比較して日本の政治の問題点をあぶりだす報道ができるように国際部を含めて再編成することが必要でしょう。
編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2023年6月20日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。