岸田首相が今国会での解散見送りを表明したと思ったら、メディアはまた自民党のペースに乗せられて「首相は解散カードを温存し、10月に衆院議員の任期の折り返し(2年)迎えることから、解散に踏み切りやすい」などと、解散風をもう書き始めています。
日本の政治ジャーナリズムを担うはずの新聞、テレビの政治部は、もっぱら目先の政界の動きを追う「政局部」にすぎないと、批判されています。読者も踊らされる。解散総選挙の本質な問題をもっと掘り下げてほしい。
報道機関にとって、特に衆院選は政界の動き、解散時期の特定、立候補者の事前調査、票読み、世論調査の実施などに周到な準備が必要です。多額の選挙広告も得られますから、「政局部」が必死になるのも当然です。そのことと、本来あるべき選挙報道の展開には質的な差があっていい。
岸田政権が21年10月の衆院選、22年7月の参院選に勝った直後は「次の国政選挙はむこう3年はしないですむ『黄金の3年』がチャンスがくる。思い切った政治が行える」などと、メディアははやしました。
それから1年半ちょっとで「黄金の3年」は跡形もなく消え去りました。この1〜2か月は、「G7サミット(先進主要国会議)やゼレンスキー・ウクライナ大統領の広島訪問が解散の追い風」、「解散風の中、不祥事が続く(首相長男の軽率な振る舞い、マイナンバー・カードなど)。支持率が低下」などが目立ちました。
こうした展開を政治ジャーナリズムはどう考えているのだろうかと思っていましたら、朝日新聞の社説がその判断材料を与えてくれました。「解散見送り、あおった首相の罪の深さ」(17日)という見出しで、岸田首相を酷評しました。
「自ら解散風を煽りながら、2日後に見送り表明。指導者として持つ権限(解散権)の重さを自覚すべきだ」、「選挙には600億円の税金が使われる。そうした重みをわきまえず、国会での駆け引きに解散権を使う首相の見識を疑う」など、厳しい調子です。
私は解散風をあおったのは、首相および首相周辺の言動が発端だとしても、それに加え、連日の解散関係の報道にやっきになったメディアだと思います。「国会での駆け引きに解散権を使うことの見識を疑う」と批判するなら、それに乗せられた報道の見識も問いたい。
「選挙に600億円の税金が使われる」という指摘をするならば、選挙のたびに支持率を上げようとして、財政から巨額な当初予算、さらに補正予算が組まれることを批判するのが先です。「600億円」なんて小さい、小さい。財政赤字は積り積もって、1200兆円超(国債など)です。
朝日社説に戻りますと、「新たな課題が生じた、基本政策を転換する場合以外は、4年の任期を全うするのが筋だと主張したい」と、正論を書いています。4年が全うされるかはともかく、前回の総選挙から2年も経たない時期の解散見送りは歓迎すべきことです。
朝日は「解散見送りになったことを歓迎する。任期満了を目指してほしい」とでも書いたらいいのです。そうは書かず首相批判に終始する。権力を批判することばかりに筆鋒が向いている。こういう報道姿勢は朝日新聞の限界を示している。
毎日新聞は「解散見送り、権力をもてあそぶ危うさ」(19日)が見出しで「G7サミットを受けて支持率が上昇し、今なら勝てるという打算だけで、解散しようとした。解散は大義に乏しかった」と、朝日と同様の主張です。今にも解散があるように思わせた新聞も罪深い。
読売、日経では、解散問題を取り上げた社説が見当たりません。連日、選挙報道を大々的に繰り返していたのですから、「見送りを歓迎する」くらいのことを書くべきでした。解散ムードが高まってきた時に、「解散はすべきではない」と指摘する新聞社があってほしかった。