黒坂岳央です。
New York Timesに興味深い記事が掲載された。簡単に内容をいうと夏休みなどの長期休み中、親はむやみに子供から退屈を奪ってはいけない。無理に勉強やアクティビティなどを詰め込んでごまかすべきではない。なぜなら退屈は敵ではなく、むしろ味方だからというものである。
Being bored can be good, actually. LooA2y6z5
— The New York Times (@nytimes) June 19, 2023
これは子を持つ親だけでなく、大人自身についても言える。とかく忙しいと言われる現代社会だが、暇を持て余す瞬間は誰しも必ず訪れる。
年末年始休暇やゴールデンウィークなど、まとまった休みに心躍らせるも開始2日目の夕方には「もうやることがない」と暇を持て余すようになり、あれほど渇望していたはずの暇が味方から敵に変わるのを感じるという経験である。

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同記事によると、Boredom is informative(退屈は情報だ)という。これはどういうことだろうか?つまり、自分自身の心の状態や弱点、課題を教えてくれる対象なのである。いくつか取り上げたい。
英語圏には「Only boring people get bored」という言葉がある。「退屈するのは退屈な人だけ」という意味だ。同じものを見たり聞いたりして、つまらないと思う人もいれば楽しくて興味深いと思う人もいる。つまり、自分が認識する対象の良し悪しではなく、面白がれるか?学びを得られるか?といった自分自身の問題という話だ。
つまらないと感じる理由は知識不足が大きい。地理の知識があれば、飛行機の機内の窓から地形を面白がれる人もいる。だが、その土地の地理の知識が何もなければ興味を持つことは難しい。退屈なもので溢れていると感じるなら、それは自分の知識が不足していることを教えてくれるのではないだろうか?
また、それまで楽しめていたことが急につまらなくなることもある。スポーツでも音楽でも仕事でも、最初は何をやっても見ても学びが多くて楽しかったのに、伸び悩みが続くと上達が感じられずつまらなくなる。そんな時は、技術向上をするための抜本的訓練の変更が必要なタイミングかも知れないし、あるいはスパッと思い切って仕事や趣味を変えてしまうべきタイミングかも知れない。
退屈は色々なことを教えてくれる。退屈な状況から発せられる声なき声に耳を傾けることで人生は今よりさらに良くなると思う。
人生そのものが退屈との戦い人類の歴史とはすなわち、暇や退屈の克服の歴史でもある。その過程で労働や遊びが発達した。結果として現代社会は高度に情報化され、現代社会一日で浴びる情報量が江戸時代でいうと一年分、平安時代一生分といわれるほどだ。
自分は人生そのものが退屈と上手に付き合うゲームだと思っている。我が国においてはとりあえず餓死せず生きていくだけならそれほど難易度は高くない。
人生は大きな偉業をなすには時間が慢性的に不足しているが、何もしないのでは長すぎるという絶妙な時間設定がされている。何かをしなければ退屈に塗りつぶされる。そしてその退屈は多くの人にとっては辛く感じる。だがそこで退屈さを場当たり的な娯楽でごまかすべきではないと思っている。なぜなら受動的な娯楽は必ず飽きるからだ。