歴史はしばしば韻を踏む
米国文豪のマーク・トウェインが言ったとされるように、歴史は繰り返されないが、しばしば韻を踏む。これは一回起こった歴史には再現性はないものの、当時と似たような状況や条件が揃えば歴史が繰り返されたとの既視感が現代でも感じられることを意味する。
既視感を感じるという点においては、2024年民主党予備選はますます約40年前の1980年に実施されたそれに近づきつつある感覚をおぼえる。 それがなぜかを説明する前に、1980年に米国大統領だったジミー・カーターについて紹介したい。

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1980年当時の米国大統領はジミー・カーターであり、彼への評価は長らく米国内では低かった。カーター時代にアメリカ人は国内では今日が可愛く思えるレベルのインフレを経験し、国外では邦人66名がイランで人質に囚われるという不況と屈辱の時代であった。
しかし、死期が迫っているという報道がなされたカーターの再評価は目に見える形で進みつつある。2021年にジョナサン・アルターは本格的なカータ―の伝記を出版し、見過ごされがちだったカーターの大統領時代の功績に着目した。
同書でアルターはカーターが航空業や運送業、そして醸造業などといった様々な産業の規制緩和に着手したことを指摘した。特にリバタリアン系のリーズン誌によると、醸造業の規制緩和が効果てきめんであり、1978年に100以下しかなかった醸造所は2年後に100以上に膨れ上がり、今では一大産業に発展している。
また、世論の反発を恐れずに大統領選の前年に財政タカ派のボルカ―をFRB議長に任命し、70年代のインフレを鎮圧させる高金利政策を容認したカーターの政治的勇気もアルターは評価している。さらに、ノア・スミスはカーター政権下での防衛費増加の功績についても言及しており、冷戦終結のきっかけとなったとされるレーガン政権のカーターが敷いたレールの上で起こったと示唆した。
実際のところ、カーターは従来思われている以上の功績を大統領時代に残している。特に、ボルカ―の任命、パナマ運河の放棄などに代表されるカーターの政治的勇気、今では当たり前となっている人権や環境問題を政府として取り組んだことの先見性については歴史家が繰り返し称えることになるだろう。
しかし、当時のアメリカ人は立ち止まってカーターの功績をしっかり吟味する余裕はなかった。米国民はオイルショックに端を発した高インフレの責任をカーターに押し付け、選挙シーズンが近づくにつれ共和党だけではなく、民主党内からもカーター降ろしの動きが加速した。
カーターがあまりにも不人気であったがゆえに、民主党内からエドワード・ケネディがカーターに挑戦し、予備選ではケネディに4割近い得票数を奪われ、民主党が分断された状態でカーターは本選に臨まざるを得なかった。歴史的な不況と民主党の分断が相まって1980年の本選でカーターは共和党のレーガンに大敗した。