『論語』の「子罕(しかん)第九の二十九」に、「歳(とし)寒くして、然る後に松柏(しょうはく)の凋(しぼ)むに後(おく)るるを知る」とあります。孔子は「冬の厳しい寒さになって、初めて松や柏が枯れないことが分かる。人間もまた大事に遭遇してはじめて、その真価が分かる」と言っています。一人前のことを言いながら、何も出来ない人は多くいるよう感じられます。「人間の真実の価値は、なさねばならぬことをきちんとするところにある」(河合栄治郎)--人間の価値とは、何らか事が起こった時の行動にある、とは一面真実だと言えましょう。

当ブログ「北尾吉孝日記」ではこれまで、人間の価値につき偉人の色々な表現を御紹介してきました。例えば、安岡正篤及び森信三という日本が生んだ2人の碩学の言では、「人間の真価はなんでもない小事に現われる」「誠に人の晩年は一生の総決算期で、その人の真価の定まる時である」(安岡正篤)とか、「人間のネウチというものは、その人が大切な事がらにたいして、どれほど決心し努力することができるかどうかによって、決まるといえる」「人間の真のネウチというものは、一、その人がどれほど自分の仕事に忠実であるかという事と、もうひとつは、二、心のキレイさにある」(森信三)といったものです。