また、6月6日のダービー観戦では、皇太子殿下が日本にいるときから希望されたものだったが、第一レースが終わったところで女王から使者が来て、ロイヤル・ボックスで第二レースを一緒に見ることを誘われた。英王室が絵になる日英友好の場面を作ってくれたということだ。最初から貴賓席でとかあり得ない時代で、こういう屈辱的な扱いで我慢せざるをえない時代であった。
当時としては仕方なかったのだろうが、この戦後、日英の上下関係みたいなものの影をなおひきずっているのが気になる。
その後、一行はフランス、スペイン、イタリア、オランダ、西ドイツ、ノルウェー、スウェーデンを経てアメリカに向かった。
このあと、皇太子殿下の英国留学が話題になったが、困難ということになり、1968年の三笠宮寛仁親王のオックスフォード留学が戦後の皇族の英国留学の始まりとなった。
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