アメリカ人のバイニング夫人が家庭教師を務めたことについて、保守派の人たちから批判もあるが、昭和天皇の「西洋の思想と習慣を学ばせる」という意向があり、日本人では伝統的でない教育をしようとすると、抵抗にあい、それを排除できるのは外国人でなくてはダメという日本的な事情もあった。バイニング夫人とは昭和天皇も、吉田首相も教育方針につい綿密に相談をしており、GHQに押しつけられたというのは間違いだ。
ただ、社交的な会話を教えるのことはバイニング夫人には苦手だったようで、あわてて勉強して頂くことになった。
いずれにせよ、未来の天皇としての教育の集大成として、この戴冠式への出席と欧米歴訪は絶好のチャンスだったので、学業を犠牲にしても長期間の旅行が実行され、結果、上皇陛下は聴講生となられたので、学習院を中退されたことになっている。
若い皇太子に徐々に環境に慣れてもらうためにも、3月20日に横浜を出港し船の旅となった。ハワイなどを経由し、カナダで英国の流儀になれてもらった。ニューヨークを出航したクイーン・エリザベス号は、4月28日、サザンプトンに入港し、船内で簡単な記者会見が行われたが、殿下はステートメントを英語で無難にこなされた。
だが、英国内では反日気分が高まり、滞在予定のいくつかはキャンセルになったし、マスコミの攻撃も激しかったが、チャーチル首相が一計を案じて午餐会を開き、そこにうるさ型のマスコミ幹部を集め、独特のユーモアで英国流の立憲君主制の奨めを皇太子に話し、巧妙にマスコミ論調のガス抜きをしてくれた。
女王夫妻との会見は5月5日に行われ、天皇陛下の「ご沙汰」と夫妻の謝辞が交換された。英国側では反日世論をなだめるためにも、王室も積極的に歓迎しているところをみせた。