中国人や韓国人との付き合い方を考えるに当たっては、両者の国民性の違いが大事だ。中国人は「メンツ」を非常に重要視にしているので、それを尊重すれば、現実主義的な対応はしてくれる。
韓国の人の気質は、強く出る国や組織、人には弱いが、反撃しないと図に乗って攻撃してくる。しかし、派手に喧嘩しても意外とさっぱりしているから、先方が攻撃してくる場合、遠慮せずにしっかりと論争したほうがいい。
私は中国に対しては、その文化への敬意を払いつつ、日中が同じルーツで対等であることを語ることにしている。日本人の主流を占める弥生人は、中国の江南地方から稲作技術とともに渡来したものだし、日本文化は漢代や唐代の文化を独自に発展させたものであって、むしろ北方民族の影響で変容した現代中国の文化より正統派でもある(例えば、数字の読み方は漢代と同じ)。
19世紀以来、漢字文化圏で新しい言葉は日本でのほうが多く生まれていることは、日本人より中国人の方が知ってる。中国の伝統的な用法、漢字の意味からして中国での伝統的な用法かは、彼らならぽんとくるからだ。
同じ漢字圏の兄弟だという説明は喜ばれる。
日本では戦後になって、東京大学の学者などが「冊封体制」なる珍奇な造語をして、東洋の外交秩序は中国を中心としたものであり、日本も中国に対して従属的な立場だったと言い出し、日本の歴史教科書でも採用されているのだが、それが当てはまるのは中韓関係だけだ。
日中の歴史的関係は、明治維新直後に、遣唐使の時代以来、久しぶりに日本が正式の外交関係を結ぶときに清国でもどういう形であるべきか議論されて、曾国藩という漢族の長老政治家が歴史的にも日本を「従属国」として扱うのは無理だと意見し、日本を欧米諸国と同じ扱いにしたことで決着済みである。
そして、中国と韓国は上下関係がはっきりしている。ならば、論理的に日本と韓国は対等でないと云うことになるのだが、それは、ある場面ではというだけだ。
ただ、困るのは、韓国人でもそうだが、日本人でもし日中が対等なら、日韓が対等でないという論理的帰結になるのを恐れて、日本と中国は上下関係があったとなんとかいえないかと必死になる人がいることだ。上記の東大教授もその一人だ。
中国と韓国とのあいだに、東大教授がいうような、厳格な冊封関係と彼が呼ぶものがあったのは事実だ。
しかし、それは新羅が唐の属国となる条件で、百済や高句麗の領土の一部を譲ってもらってからあとのことだ。それ以前はもう少しゆるやったし、契丹は自分が兄で宋は弟として扱ったし、モンゴル族が漢民族より下などと思ったこともなかろう。
倭の五王にしても、李氏朝鮮と違って、中国の皇帝から認められて初めて倭王だったのではない。
ともかく、日本に限らず、一般的に東アジアの国際秩序として冊封体制などなかったのである。
いくら韓国が中国に頭が上がらない屈辱的な立場だったからといって、ほかの国も同じだったなどと云うべきで無いし、まして、その片棒を日本人が担ぐのはとんでもないことだ。
提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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