経済社会システムの「適応能力上昇」が根本

「社会資本主義」では、未来展望と生活安定を目指して、経済社会システムの「適応能力上昇」を維持して、世代間協力と社会移動が可能な「社会発展」(social development)を追求する。

ここで「成長」を避け「社会発展」を使ったのは、「成長」は社会システムの「水準上昇」のみを意味するからである。その点、「社会発展」は「水準上昇」に「構造変動」を結びつけた概念(富永、1986:293)なので、包括的な「成熟」までも理論に取り込める。

イノベーションは社会システム全域で発生する

もちろん「成熟」だけでは、「資本主義のエンジン」であるイノベーションは作動しない。イノベーションは経済活動、政治と政策、社会統合、価値と規範などいわゆるパーソンズのAGIL図式の分野すべてに関連するので、「脱成長」して「成熟」を維持するという論壇にあふれる戦略のみでは処方箋は有効ではない(金子、2023)。

しかし「成長」や「増大」とは異なり、「社会発展」は経済面の拡大だけというよりAGIL分野(経済、政治、社会統合、価値規範など)の質的充足も含む概念である。そのため、企業や官庁での分業による組織再編、政治的リーダーシップのP(実行力)とM(統率力)、国民の世代ごとに異なる文化資本の充実、バランスの取れた秩序と進歩の共存など、「社会発展」は多様な側面から構成される。

要するに、「社会資本主義」は持続的な「社会発展」を目指すという位置づけになる注3)。

キャピタルにはインタレストが付随する

確かに、キャピタル(元金)が生みだす利益を想定しつつ、自治体レベルでは「社会的共通資本」(social common capital)として「都市型社会の装置」あるいは「生活関連インフラストラクチャー」を表現することは、市民の一人としても「資本」概念の延長先にあるそれらの諸施設への親しみが持てて、魅力的でもある。

social common capitalに修正

ただし、宇沢がこの概念を使い始めてからの30年間は‘social overhead capital’が英語表現とされてきたが、2010年に宇沢を中心として刊行されたシリーズ(宇沢・鴨下編、2010)では、説明抜きに‘social common capital’とされ、それ以後は栁沼(2014:205)のようにこちらの訳語が踏襲されている点に注意しておきたい。

なお宇沢からの手紙を紹介した大塚(2015)によれば、2003年4月の手紙に「宇沢がSocial Overhead Capitalを最終的にSocial Common Capitalと直してい」(同上:210)たと書いている注4)。

宮本の社会資本論

ただ、並行して、宇沢よりも数年早くハーシュマンの「社会的間接資本」(social overhead capital)に着眼した宮本は、「社会資本」と短縮して、当初から「社会的一般労働手段」と「社会的共同消費手段」の両側面を意識して使っていた。

なぜなら、「社会的労働手段と社会的消費手段は、ともに資本制社会の再生産の一般的条件である」(宮本、1967:45)からであった。

都市問題論に応用

そして1960年代当時の住宅不足、交通マヒ、公害、清掃事業の停滞、青少年非行、伝染病の発生、スラム街の膨張に代表される「都市問題」を強く意識して、「資本制蓄積は、社会的共同消費手段を絶対的に相対的に節約する傾向がある」(同上:160)とした。

この指摘は典型的なマルクス経済学的な視点から行われているが、それから数年後の近代経済学に立つ宇沢はこのような論点を受け継がなかった。

官民による「社会的共同消費手段」への膨大な投資

「社会的共同消費手段」を表現するする「社会的間接資本」を取り込んだ両者のスタートから50年経過した現在では、「社会的共同消費手段」としての公共交通機関、実現性には疑問が残るが「脱炭素」や「再エネ」施設の大増設、地方創生とまちづくりなどには、民間資本だけでなく政府からも膨大な資金投入が続けられている。

利息としての利便性

しかし、「社会的共同消費手段」の名称としての「社会資本」(宮本)ないしは「社会的共通資本」(宇沢)では、キャピタルとしての「資本」が経済的豊かさだけを連想させるのではないところに積極的な意味がある。むしろコモン・キャピタルに伴う市民個人に還元されるインタレスト(利益や便益)の存在が大きい。

二人が事例として掲げる公園、道路、都市型社会施設など生活インフラに絞っても、その利用に当たっては無料がほとんどである。電力、私鉄、地下鉄などの公共交通、上下水道、義務教育、医療機関などは有料ではあるが、国家の規制が強く、今日までそれぞれの制度の恩恵として低額の使用料金を払うだけであり続けてきた。

もっとも政府や自治体にとっては、毎年の管理運営補修などの費用はかなりな額に達するが、ほぼすべてが税金の投入によって賄われてきた。

「社会的労働手段」と「社会的消費手段」を区別できない時代

経済過程を「生産・流通・販売・消費」の総過程とみれば、これらと「社会的共同消費手段」と「社会関係資本」や「人間文化資本」は縦横に結びついている。

50年後の今日では、宮本のような「社会的労働手段と社会的消費手段」を区分するのではなく、合わせて使うことが多い。たとえば、配送作業では道路は「労働手段」ではあるが、同じ道路を使って買い物をすれば「消費手段」にもなるのだから。

「パブリック」とは公益の保障

セネットは公的な領域の変化を歴史的素材に求めながら、「パブリック」を社会的な公益と見て、「『パブリック』とは誰が詮索してもよいということであり、『プライヴェイト』とは家族あるいは友人に限定された、生活の保護された領域のことを意味した」(セネット、1977=1991:33)と整理した。

さらにパブリックを、「家族と親しい友人たちの生活の外側で過ごされる生活を意味する」(同上:35)とまとめた。家族の外側で家族生活を支え、「公益」を保障する具体的な装置もしくは施設とは何か。都市経済学の分野ではそれを総称して‘public goods’(公共財)と規定する注5)。

これは市場では供給されないから、「公」としての国や自治体が供給にも管理運営維持にも最大限の責任を果たす義務をもつ。いわば市民すべてが作り上げた都市型社会の「共同生活」を支えるために、「公」的アソシエーションとしての国家や自治体が生産・維持・管理する財のすべてが公共財である。

宇沢の「社会的共通資本」研究は二酸化炭素地球温暖化論を取り込めたか

ただし、二酸化炭素地球温暖化論を取り込んだ経済学の一部には、学問的にも現状分析面でも貴重な役割を果たしてきた社会的共通資本論をめぐっては、大きな欠陥が目立つようになった。

公共財としてもすでに触れたように一般に社会的共通資本とは、道路、港湾、鉄道、水、電力、ガス、通信、学校、病院などのインフラストラクチャーを指している(宇沢、1995:137)。

40年にわたる「社会的共通資本」研究における宇沢の功績は周知の事実であるが、同時に手掛けていた地球温暖化論や災害復旧論などでは、「炭素税」には触れつつも、総体として化石燃料の大量消費にともなう二酸化炭素の膨大な排出を前提として、「社会的共通資本」が建設され維持・管理されるという認識を晩年まで宇沢がどこまで持っていたかどうか不明である(宇沢、2000)。

「社会的共通資本」の建設、維持、改修には膨大な二酸化炭素が排出される

とりわけ「社会的共通資本は、土地、大気、土壌、水、森林、河川、海洋などの自然環境だけでなく、道路、上下水道、公共的な交通機関、電力、通信施設などの社会的インフラストラクチャー、教育、医療、金融、司法、行政などいわゆる制度資本をも含む」(同上:22)という後期の定義には疑問が残る。

なぜなら、道路や上下水道に象徴される社会的インフラストラクチャーの建造、補修、維持、管理には膨大な二酸化炭素が排出される日常があるからである。

さらに、土地、土壌、森林、海洋など自然環境という社会的共通資本の保全業務でも、二酸化炭素は排出され続ける。しかもその管理業務の主体が制度資本である行政なのである。

道路自体が「化石燃料の大量消費」物

しかし国土交通省のホームページに掲載された「道路投資等の推移」によれば、2000年当時では実に12兆7686億円が総道路投資額であった注6)。

社会的共通資本の筆頭である道路の建設は鉄もコンクリートもコールタールも含むから、道路自体がいわば「化石燃料の大量消費」物であり、膨大な二酸化炭素の発生を自明とする。

この逆説的な理論への配慮が、「社会的共通資本」と二酸化炭素による地球温暖化論を同時進行させた晩年の20年間の宇沢にどこまであったのだろうか。