オーストリア日刊紙「スタンダード」に興味深い記事(12月9日)が掲載されていた。オーストリアに避難してきたウクライナ人女性の意識調査に関する内容だ。ロシア軍の攻撃から逃れるためにウィーンに避難してきた大多数のウクライナ人女性は自身を他の難民と同じではなく、「貧しい」とは考えていない。そして過半数は都市部で生活したいと願っているという。同調査はウィーン大学の2人の女性政治学者(Sieglinde Rosenberger, Anna Lazareva)が実施したものだ。

生後3カ月と3歳の子どもを連れてハンガリーに逃れてきた母親。夫はウクライナに残ったままだという(2022年3月11日、UNHCR日本サイトから)

記事はドイツ出身のユダヤ人哲学者ハンナ・アーレント(1906年~1974年)が1943年に書いたエッセイ「We Refugees」(私たち難民)を紹介している。アーレントは「難民とは慣れ親しんだ日常生活からの乖離を意味する」という。そしてアーレントは自身を「難民」と受け取られ、自分自身をそのように見なすことに感情的な抵抗感を覚えていた。「難民」とは、アーレントにとって、無一文で他国に到着し、助けに頼る存在を意味するからだ。

話を現代に移す。ドニプロでオステオパシーの診療所を経営していたが、ウクライナ戦争が勃発したためウィーンに逃げてきたウクライナ人女性を紹介する。彼女は「私は避難民としてではなく、休暇でオーストリアに来たかったのです」と述べている。これまでの生活環境から突然断絶され、それらに関連する全ての欲求を放棄して逃げてこなければならなかったウクライナ人女性の偽りのない苦悩を記述している。

オーストリアには現在、ウクライナ出身の難民約7万2000人が正式に登録され、住んでいる。その約80%は女性と子供だ。彼らは避難民とみなされ、欧州連合(EU)とオーストリア政府の一時的保護に基づいて居住している。

ウィーン大学の研究プロジェクトは、ウクライナから避難してきたウクライナ人女性33人と非政府機関(NGO)支援関係者を対象にインタビューをし、ウクライナ人女性が自分自身や他人をどのように認識しているかについて調査した。その結果、ウクライナ人女性には、①都市に住みたいという強い願望と、②自分を難民と認識したくない願いがあることが分かった。

ウクライナ人女性の難民の大多数はウィーンに住みたいと考えている。その理由として、より良いインフラ、教育、医療、専門的な機会、特に子供たちのための教育、レジャー、スポーツの機会が多いことなどが挙げられている。一部の回答者からは、農村部での食料配給所をはじめとする支援サービスの欠如や移動の制限への懸念が指摘されていた。農村部での生活に対する不安は、彼ら自身の都会的なアイデンティティと、ウクライナの農村部のイメージや経験に起因していると推定されている。

ウィーンに到着したウクライナ人女性たちは「難民」とはかけ離れた自己イメージをもっている。彼女らは、地理的および文化的にオーストリアに近いことを強調し、アラブや北アフリカ出身の難民に対して否定的な態度を示すことがあるという。