激闘サーティースvsブラバム、デビュー戦の行方は?!

1967年イタリアGPのゴール直前、明らかに軽くて加速で勝る追い上げるジャック・ブラバムのブラバムBT24(右)を、わずか0.2秒差で逃げ切ったジョン・サーティースのホンダRA300(左)
ローラでのシャシー開発コード「T130」へ、軽量化とチューニングでついに目標の420馬力へ達したホンダRA273Eを積むニューマシン、RA300は1967年シーズンの第9戦イタリアGPへ出場、ステアリングを握るサーティースへ全てが託されます。
スターティンググリッドはロータス49を駆るジム・クラーク、ブラバムBT24のジャック・ブラバム、マクラーレンM5Aのブルース・マクラーレンがフロントロー3台で、ホンダRA300のサーティースは9番手スタート。
シャシーとエンジン、両方軽量化したとはいえ、依然として重量超過状態のRA300でしたが、それでもRA273より軽くて速いと好感触を得ていたサーティースは、上位陣のリタイアやトラブルにも助けられてレース終盤には2位へ浮上します。
そして最終ラップ、トップを走るクラークのロータス49が燃料ポンプのトラブルで後退するとついにサーティスがトップへ浮上!しかしその後方にはRA300より軽いBT24のブラバムが迫る!
最終コーナーでオイルに乗って姿勢を崩すブラバム、ゴールへマシンを向けると、ホンダエンジンのパワーへ全てを託してアクセルを全開まで踏み込むサーティース、加速で勝るブラバムBT24はついにRA300へ並びかけるが?!
…わずか0.2秒差で先にチェッカーを受けたのはサーティースのRA300、ローラとタッグを組んだ急造マシンが、ついにホンダ第1期F1の2勝目を挙げたのです。
前年にホンダエンジンでF2を席巻し、後にホンダF1第2期でも大きく関わるブラバムが、RA300の勝利に絡んだというあたり、ブラバムとホンダの不思議な縁を感じさせる1戦でもありました。
結局、RA300は1967年に3戦、翌1968年に開幕戦(南アフリカGP)のみと4戦のみで、優勝したイタリアGPのほかは4位と8位が1回ずつで終わり、またもローラが製作するRA301へバトンタッチします。
しかし1968年は恵まれなかったチーム事情、とてつもない悲劇で終わった空冷マシンRA302などいいところがないままその年限りで撤退、結果的に急造のRA300が思わぬ大金星で挙げた1勝が、ホンダ第1期F1最後の勝利となりました。
気合を入れて開発したのに鳴かず飛ばずで駄作扱いもあれば、間に合わせで急造したのに大活躍で傑作扱いというのも機械ではよくある話ですが、RA300は典型的な「急造の傑作」の例でしょう。
文・MOBY編集部/提供元・MOBY
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