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シャシー開発の限界を超えた先へ
オールホンダ体制を脱却した「ホンドーラ」、RA300
激闘サーティースvsブラバム、デビュー戦の行方は?!

シャシー開発の限界を超えた先へ

「このままじゃ勝てないぞ」”ホンドーラ”と揶揄された急造の傑作・ホンダRA300【推し車】
(画像=『MOBY』より 引用)

ホンダコレクションホールに展示されているRA300

エンジンだけでなくシャシーも作り、オールホンダ体制で挑んだ第1期ホンダF1は、初参戦のRA271で経験を積み、2台目のRA272で初優勝。

しかし次のRA273では排気量上限が3リッターへと拡大された規則改正の混乱をついて健闘するも、チャンピオン経験者、名手ジョン・サーティースの腕をもってすら優勝から遠ざかってしまいます。

原因はパワフルながら重いV12エンジンに加え、ひたすら頑丈なだけで重いシャシーにあり、ついにホンダはオールホンダ体制を断念、イギリスのシャシーコンストラクター、ローラの手を借りたRA300の開発に着手、第1期最後の勝利を挙げるのでした。

オールホンダ体制を脱却した「ホンドーラ」、RA300

「このままじゃ勝てないぞ」”ホンドーラ”と揶揄された急造の傑作・ホンダRA300【推し車】
(画像=『MOBY』より 引用)

インディカーのローラT90をわずか1ヶ月でRA273Eを積むF1マシンへと改造、成果へ結びつけたローラの技術力が光った 前年までの1.5リッターエンジンから一転、1966年シーズンから3リッターエンジンで戦う事になったF1ですが、その頃に新型軽乗用車「N360」の開発が大詰めを迎えていたホンダではF1用エンジン開発の優先順位がF2用より下という状態。

ようやくシーズン途中から新型エンジンを積むRA273で参戦するも、排気量を拡大したうえでなおV型12気筒にこだわったエンジンは重く、さらにシャシー開発技術も未熟で最低重量を大幅に超過する有様で、いくらエンジンがパワフルでも帳消しにするほどでした。

ただ、他チームもエンジンの開発や選定に手間取る中なら条件は似たようなもので、出場さえすればチャンスはあると目論んでの参戦で、翌1967年シーズンには新加入した名手、ジョン・サーテーィスのドライブで3位表彰台を得ます。

しかし、この年から軽量シャシーへ軽量ハイパワーの名機、フォード・コスワースDFVを載せたロータス49、レプコエンジンの性能は今ひとつだったものの、シャシーを含めたトータルパフォーマンスや信頼性で勝負するブラバムBT24に対し、分の悪さは否めません。

かといって、N360など市販車を優先せねばならない状況では、ホンダ独自のシャシー開発による軽量化など改善は見込めず、サーティースのコネでイギリスのシャシーコンストラクター、「ローラ」へ新型シャシーの開発を依頼します。

オールホンダのはずが、ローラのシャシーへエンジンだけホンダになったため、「ホンドーラ」と皮肉られたものの、わずか1ヶ月と驚くべき短期間で製作したシャシーへ、軽量化など改良を加えたRA273Eを搭載したRA300は1967年シーズン終盤へ間に合ったのです。