コスパのわるいムダを楽しむのが贅沢
時折、贅沢な行為に対してバカにする意見を見ることがある。「タワマンに住むのはコスト高で割に合わない」「旅行ではもっと安いホテルがあるのに情弱なんだな」「子供なんて今どき金食い虫で時間も取られるのでムダだ」といったものである。
しかし、コスパばかりを追求する人生は果たして本当に満足度が高いのだろうか? はたと人生で立ち止まった時に、自分自身のアイデンティティを支えてくれるものは「資産の多寡より経験」ではないかと思っている。
タワマンに住む人の中にも上質な生活を送る経験や思い出を楽しんでいる人はいるし、旅行先で非日常を楽しむ経験を作ったり、子育てに悩みつつもたくさんのイベントと心の交流を思い出として残すことには価値がある。死の直前にコスパよく生きたことに満足するとは思えず、多少不格好にデコボコした人生でも多くの思い出や経験が残っていることにこそ人は満足するのではないだろうか。
コスパ負けしてしまうような行為は、ある側面から見ると確かにムダかもしれない。だが、その類のムダを別の方面から見ると贅沢と呼ぶこともできると思う。コスパ度外視であえてムダを楽しみ、思い出や経験として残るなら歓迎すべきムダだと自分は考える。
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人生は一度しか生きられない。コスパばかり意識してしまい、肝心の心の充足をないがしろにしてQOLを下げては意味がない。仕事で無駄を省くことには価値があるが、人生の生き方ではあえてコスパ度外視でたまの贅沢を楽しむのもありではないだろうか。
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