事実、たとえば歴代のアカデミー賞の主演賞受賞者には、困難な障がいのある主人公を演じたダニエル・デイ=ルイス(1989年)、ダスティ・ホフマン(1988年)、エディ・レッドメイン(2014年)、またトランスジェンダー役のヒラリー・スワンク(1999年)など、こうした役柄で栄誉を得た俳優も少なくない。
障がい/LGBTQ+の役を当事者俳優が演じることのメリットは何か。まず、かれらの出演が増え、俳優をかれらの職業として確立することができる。それは経済的自立を促すだけでなく、自信や誇りを与え、ひいては障がい者やLGBTQ+のコミュニティ全体の社会的地位の向上、アイデンティティの強化にも波及する。多くの人の注目を集める華やかな世界における活躍は、障がいやLGBTQ+の人びとへの偏見、先入観を払拭する機会になる。
そして、当事者が演じることで、より真実味が増す、すなわち「本物らしさ」が挙げられる。俳優は自分が演じる役を徹底的に研究し、本物らしさを追求し、それが上記のような栄誉を生むのではあるが、それでも当事者の「本物」感には及ばない。先のレッドメインはALSで身体の不自由なスティーブン・ホーキング博士を演じてアカデミー賞に輝いたものの、博士の描き方、たとえば身体の動きや車椅子の扱い方がステレオタイプだとの批判に晒された(The God is in the TV)。
確かに、どれほどの巧みな演技でも、本物には敵わない。目にはっきりと見える障がいの場合には、特にそうなのだろう。しかし、LGBTQ+のような外見上はわかり辛い人物を演じる場合はどうか。すべてその当事者が演じるべきなのであろうか。
『キャロル』という映画でレズビアン役を演じたケイト・ブランシェットは「自分の経験を超えた役柄を演じる権利のために死ぬまで戦う」と語り、俳優が役柄を真に理解するには同じ経験をしているべきだという考え方にノーを突きつけた(BBC NEWS JAPAN、2018年10月22日)。
門外漢に演技論など理解の彼方ではあるが、一つ言えるのは、当事者しか当事者役は演じられないとの囲い込みはかれらへの偏見を上塗りするばかりか、活躍の場を狭めてしまう。ハリウッドでは同性愛者であることを公表した俳優が異性愛者の役を演じ、演技が賞賛されることも多い。逆もあって然るべきだろう。