今でも語り草の2000年2ndステージ
そんな当時の福岡が唯一ともいうべき躍進を遂げたのが、ネストール・オマール・ピッコリ監督が就任した2000年のチームだ。当時のJリーグは2ステージ制で実施されており、1stステージは14位(16チーム中)。それでもキャンプからフィジカルトレーニングを重視し、徐々に「戦う集団」へと変貌を遂げ、2ndステージに花開く。
当時J1で2強と言われた、鹿島アントラーズに引き分け、ジュビロ磐田には勝利した福岡。終盤まで優勝争いに絡んでみせたのだ。最後に3連敗と息切れして2ndステージ6位で終えたものの、20年以上経った今もなおサポーターに語られるチームであった。新加入の高卒ルーキーDF平島崇、MFダビド・ビスコンティらが活躍した。
通称「5年周期」の始まり
2000年の躍進でその後の活躍を期待させたものの、翌年には16チーム中15位であえなくJ2降格となった福岡。そこからは通称「5年周期」と呼ばれた「4年かけてJ1に昇格し1年でJ2降格」というサイクルを繰り返すことになる。
2005年、松田浩監督(現テゲバジャーロ宮崎監督)が若手選手を積極的に起用し、ゾーンディフェンスとディシプリン(規律)を重視したサッカーでJ1昇格したものの、翌年降格。
2010年、篠田善之監督(現ヴァンフォーレ甲府監督)が豊富とはいえない戦力を巧みにやりくりし、J1昇格を達成したものの補強が進まず、翌年降格。
2015年、井原正巳監督(現柏レイソル監督)が守備を整備し、DF冨安健洋(現アーセナル)やGK中村航輔(現ポルティモネンセ)らの活躍もあって3位でJ1昇格プレーオフに進出。準決勝でV・ファーレン長崎に勝利し、決勝ではDF中村北斗の劇的ゴールでセレッソ大阪と引き分けてJ1昇格を果たす。ところが、翌年J1最下位でまたもや降格。
2020年、現在も指揮を執る長谷部茂利監督がJ1昇格に導いたことを含めて、実に20年もの間、このサイクルは続いた。
クラブ存続の危機も
また、2013年10月に発覚した経営難についても触れなければならないだろう。運営資金約5,000万円が不足し、クラブははっきりと存続の危機に立たされたのだ。辛子明太子を生み出した「株式会社ふくや」や、地元サポーター、他クラブのサポーターも含めた支援のおかげでこの危機を乗り越えたからこそ、今があることを忘れてはならない。
筆者はこの時の経験によって「クラブがあること」の幸せをこの上ないほどに痛感した。各クラブはライバル関係ではあるが、今後1つたりとも消滅することなく、ともにリーグを盛り上げる存在でありたいものだ。