4000年前の新疆ウイグル・タリム盆地で何が起きたのか。大量に見つかったミイラ化した遺体は滅亡した謎の民族なのか――。

遺伝的に孤立していた民族のミイラ

新疆ウイグルのタリム盆地で発見された164体ものミイラの遺体と衣服は4000年前のものであるにもかかわらず驚くほど良好な保存状態であった。乾燥した砂漠の空気によって自然に保存されており、顔の特徴や髪の色が一目瞭然なのだ。遺体が収められていた棺桶はボート型で牛の皮で覆われており、周辺の内陸アジアの集団とは異なる独特の埋葬様式であった。

ヨーロッパの白人種的な外見、フェルトで織られたウールの衣類、そして彼らの珍しい墓から発見されたチーズ、小麦、アワは、彼らが西アジアの草原からの長距離を移動した遊牧民か、あるいは中央アジアの山々や砂漠のオアシスからの移住農民であることが示唆されていた。

アジアで見つかった「白人ミイラ」の謎! 4000年前に孤立した集団が存在か
(画像=画像は「YouTube」より、『TOCANA』より引用)

またミイラとともに出土した遺物の中には青銅が使われている道具もあり、青銅器文化の伝来のタイムラインについて再考が求められることにもなっている。そしてシルクロードの要衝でもあったこの地には各方面からの多様な文化が伝わっていたことが推測されてきた。

しかし2021年に「Nature」で発表された研究では、タリム盆地の13体のミイラのDNAを分析し、その遺体が遠くからやって来た者ではなく、古代氷河時代の土着の集団に属していることが報告されたのだ。

シルクロードの要衝としてタリム盆地では多くの文化と活発な交流があったとすれば、異なる民族との混血が進んでいたとしても不思議ではないのだが、意外にもDNAを分析した結果は、彼らは遺伝的にはそれほど多様ではなかったのだ。

研究論文の共著者であるハーバード大学の人類学准教授クリスティーナ・ワーナー氏によれば「彼らが実際に遺伝的に高度に孤立した土着の集団を表しているという強力な証拠を発見した」と説明している。他民族のアイデアや技術を積極的に取り入れて活用しつつも、遺伝的には孤立を保っていたというのである。

研究者らは、3700年から4100年前に遡るタリム盆地の最古のミイラの遺伝情報を、中国の新疆ウイグル自治区のはるか北にあるジュンガル盆地の5人の遺体から解読されたゲノムとともに調べた。この遺体は4800~5000年前のもので、同地域の人間の遺体としては最も古いものだ。

研究の結果、タリム盆地のミイラには、同時期に住んでいた他の集団との混血の兆候が見られないことが判明した。タリム盆地のミイラは、かつて氷河時代に広く生息していたものの約1万年前までにほとんどが消滅したグループの直系の子孫であることが示唆されることになったのだ。

古代北ユーラシア人(Ancient North Eurasians)と呼ばれるこれらの人々は狩猟採集生活を送っていた集団で、現代人の遺伝情報にはごくわずかな痕跡しか残っておらず、強いて言えばシベリアやアメリカの先住民族とある程度共通する部分があるという。

タリム盆地のさらに北にある他の現地人の遺伝子サンプルでは、彼らの出身者がその地域のさまざまな青銅器時代の集団と広範囲に混血していることが示されているのだが、何故かタリム盆地のミイラは遺伝的にきわめて孤立していたのである。

アジアで見つかった「白人ミイラ」の謎! 4000年前に孤立した集団が存在か
(画像=「CNN」の記事より、『TOCANA』より引用)