なぜ、そんなことを書くかというと、28日は「教会が始まった日」と呼ばれる聖霊降臨祭(ペンテコステ)だったこともあって、ペンテコステを記述した新約聖書の箇所を再読して改めて驚いたからだ。以下、少々理屈っぽい話だが、読んでもらえば幸いだ。
聖霊降臨祭とはイエスの十字架、3日後の復活、40日間の歩み、昇天、その10日後に五旬節を迎える。興味深いのは聖霊が降臨すると、集まっていた弟子たちは学んだことがない国の異言を語り出し、周囲の人々を驚かせたというのだ。学んだことがないロシア語が突然、スラスラと飛び出したならば、本人はびっくりするが、周りの人も驚くだろう。そのような奇跡が2000年前、起きたのだ。新約聖書「使徒行伝」第2章に記述されている。
ちょうど、「7000の言語」の話を聞いた直後だったので、当方はペンテコステの話を別の視点で考えることができると思った。イエスの福音を伝達するためには言語は大切だ。“ユダヤ教のセクト”と呼ばれた初期キリスト教会が中東地域、そしてローマに広がっていき、世界宗教に発展するまで多くの言語の壁をクリアしなければならなかった。宣教師の最初の仕事は任地での言語をマスターすることだ。言語、すなわち、ロゴスが全ての初めだった。
ところで、旧約聖書の「創世記」第11章には「バベルの塔」の話が記述されている。神の戒めを破った人間たちが神のようになるため、天まで届く高い塔を建設しだした。当時は「全地は同じ発音、同じ言葉であった」という。そこで神は建設している人間たちの言葉を混乱させて、意思疎通できないようにさせた。その結果、言語が多数生まれた。現在7000余りの言語が存在するわけだ。
「ヨハネによる福音書」によれば、神が創造した世界は全てロゴスからできるというから、現存する言語が統合されれば、神が創造したロゴスが蘇生するのではないか。具体的には、7000の言語を統合した暁には「バベルの塔」前の世界に戻り、神の世界を今以上に理解できることになる。神が創造した直後、世界を覆っていたロゴスの世界に戻ることになる。
「私たちは知っている」というが、それは7000の言語の中の一つの言語体系、限られたロゴスから理解しているだけに過ぎない。だから、言語が混乱していなかった前のロゴスの全体像からはほど遠い。ということは、多種多様に広がった言語体系が統合されれば、混乱していたロゴスが本来の姿を現すことになる。その時、私たちはその対象を「知っている」と言えるだろう。
ペンテコステの奇跡はイエスの福音の全体を把握するためには、言語の統合が不可欠であるということを間接的に教えているように思われる。ただ、7000の言語を全てマスターしている人間はいないから、神を知っている人は誰もいない。いずれにしても、神が創造したロゴスの原型をそのまま理解するためには言語の統合が避けられないということになる。
聖霊が降臨するとは、全ての言語体系の源流の本来のロゴスが現れることを意味したのではないか。だから、イエスの弟子たちはイエスの教えを理解し、迫害を恐れない強い使徒として生まれ変わっていったのだ。逆に、聖霊が降りない限り、神が分からない。無数の言語に別れたロゴスでは神の一部しか理解できないので、神の定義一つを取っても対立し、神戦争が起きる原因となる。現在の世界はそれだろう。
ここで、少し飛躍する。心理学者カール・グスタフ・ユングが提唱した「集合的無意識」という概念がある。歴史、民族を越え、カインの殺人、洪水神話の話など、同じ体験談や共通の記憶が世界至る所に残されている。ひょっとしたら、本源のロゴスが「集合的無意識」となって歴史、民族を越えて人間の中に記憶されているといえるのではないか。換言すれば、「集合的無意識」が言語体系によって異なってしまったロゴスを結びつける接着剤のような役割を果たしているというわけだ。
オーストリアはローマ・カトリック教国だ。29日の月曜日も「ペンテコステの月曜日」で祝日だった。「言語の統一」と言えば、気が遠くなるようなテーマだが、“21世紀のペンテコステ”を迎えて、言語の壁を越えて完全な相互理解が実現し、今まで隠されてきた神の世界が鮮明に分かる時が到来することを願う。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年5月30日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。