ユダヤ系米国人の認知科学(Cognitive science)の専門家レラ・ボロディツキー氏によると、世界には約7000の言語がある。その中には口述だけで、時間の経過とともに消滅していく言語がある。各言語はその民族の歴史、文化、生活環境などと密接に繋がっているから、一つの対象、概念、感情を表現するのに数千の異なった言語が存在し、それぞれ独自の意味、概念を内包している。

イタリアの画家ファン・バウティスタ・メイノの「ペンテコステ」

ボロディツキー氏は、「言語の違いが認知能力に影響を与える。人々が根本的に違った言語で話すなら、考え方も違ってくる」と主張する。一時期、言語と思考は人類の普遍的な共有物だといわれてきたが、実際は、言語は、空間、時間、因果関係、他者との関係といった人間の経験の基本的な側面さえも形成していくことが明らかになってきた。「7000の言語」があるということは、「7000の異なった世界」があるということを意味するというのだ。

例えば、オーストラリア北部のヨーク岬半島の西端にあるアボリジニの小さな集落ポーンプラウでは、英語やドイツ語とは異なり、そこで話されるクーク・ターヨール言語には、左や右などの相対的な空間表現(左右)はなく、「コップは皿の南東にある」とか「マリアの南に立っている少年は私の兄弟です」と言う。ポーンプラウでは自分自身を明確に表現するには、常に羅針盤を念頭に置く必要がある。

また、言語が異なれば、時間の表現方法も大きく異なる。英語を母国語とする人は未来のことを考える時、無意識に体を前に傾け、過去のことを考える時に無意識に体を後ろに傾ける。アンデスで話される先住民族の言語であるアイマラ語は、過去について話す時は「前方」を意識し、未来について話す時は「後方」を意味する。なぜならば、過去は目撃し、体験したことだから「前方」に知覚できるが、未来は未体験だから知覚できないので「後方」という考えになるわけだ。

「ハンスが花瓶を割った」といった状況を考えてみる。日本語やスペイン語では、その原因について言及することを躊躇し、「花瓶が割れた」という。スペイン語と日本語を話す人は、英語を話す人よりも事故について積極的に説明する傾向は少なく、誰が事故を引き起こしたかを覚えている可能性は低いという。また、バイリンガルの人は、現在使用している言語に応じて「世界観」が変わると証言している。好き嫌いでさえも、質問される言語によって異なるという。