EVを含む自動車産業は部品数に伴う参入障壁の問題ではないと考えています。絶対的な安全、安定、そして商品の耐久性です。ひいては値落ちしにくい車であることが要件であり、これはやはり、長年自動車メーカーとして経営している企業に一日の長、いや、百日の長があるとみています。
その中でフォードのジム ファーリーCEOがテスラとの差別化を口にしていると報道されています。これはフォードがGMとの勝負に敗れた1920年代のマーケティング競争を背景に述べたものとされ、あの時のフォードが今のテスラだと置き換え、今のフォードは陳腐化しつつあるテスラを商品力で超えていくという意気込みを見せています。
では商品力とはなにか、です。個人的に期待するのは自動車を移動媒体からエンタテイメントや楽しい空間、あるいは自分だけの時間を過ごせる場所に創造することかと思っています。つまり、自動車の中にいることがより心地よくなる仕組みづくりではないか、と考えます。例えば映画は音響効果の高い車の中で見る、といった感じです。読書室でもいいでしょう。匂いと癒しの音楽でリラックスできる空間もアリです。その点ではEVではないですがトヨタ アルファードはコンセプトとしては先行したと思います。
ではもっと何ができるか、ですが、一つには天井の使い方が現状、せいぜい電動ルーフ止まりですが、もう一工夫した解放感が演出できないか、です。あとはクルマの側面が停車時に広げられないか、といったアイディアもあるでしょう。つまり、車内空間は狭く、その圧迫感を改善できないか、と素人ながら思うのです。
つまり、今後10年でクルマはクルマとしての用途に絞ったものだけではなく、極めて趣味の色合いが強い「多目的車」ではなく「極目的車」が提供できれば面白いと思いますし、徐々にそうなるのだろうと思います。さもなければマスク氏の言うように車は「コモディティ化」するわけで多くの人がジェイソンのマスクというか「イーロンのマスク」のような車を乗ることになるのでしょう。
クルマがコモディティになるか、という議論は奥深いと思います。例えば私はiPhoneを持っていますが、多くの方は全く同じスマホを持っています。これはコモディティです。また、スマホを差別化したいとも思っていません。それはディバイスであり、その中にあるアプリへのアクセスこそ、個性化が進むからです。つまりハードウェアは性能さえよければこだわらないともいえます。
クルマがコモディティ化するとすればEVでなく、完全自動運転になった際に所有欲が無くなると思われ、それが一番怖いところです。自動車メーカーの自動運転車開発に対する熱意があまり感じられない一つは自分で自分の首を絞めるからではないかという気すらするのです。
少なくとも私がテスラの顔は嫌いだ、と言っている時点でコモディティにはならないのだろうと思います。また、産業政策的にもコモディティ化は避けるべきではないかと個人的には思うところです。そういう意味ではEV戦国時代の勝者はまだ、誰か想像すらできないとも言えそうです。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2023年5月30日の記事より転載させていただきました。