回顧録には、そこまで言うかと思うほどの発言が随所にでてきます。「財務省は安倍政権批判を展開し、私を引きずり下ろそうと画策した」「彼らは省益のためなら政権を倒すことも辞さない」「官邸内では、14年の財務省の謀略は夏に始まっていた」「国が滅びても、財政規律が保たれていさえすれば満足なんです」。

「画策」「政権打倒」「謀略」「省益」と言いたい放題です。財務省が「省益」のために財政再建をしているなんて、私はこれまで聞いたことはありません。財政破綻でもしようものなら、国家の破綻だからです。

「日銀は政府の子会社だから国債をいくらでも保有させられる」と安倍氏は発言していました。本当にそう信じていたとしか思えません。民間企業なら、親会社が子会社に自社製品を売りつけ、見てくれの決算をよくする粉飾まがいの行為を続けていると、いずれ倒産に追い込まれるのです。

「省益」という場合は、担当官庁としての権限維持や組織防衛、天下り先の確保などが当てはまり、財務省にもそうした問題はある。それに対し、財政再建は「国益」という次元に存在している問題です。

安倍氏亡き後、安倍派は100人の規模に膨張し、最大派閥を維持しています。その後継者たちも安倍氏同様の財政観を担いでいるのでしょう。心配です。財政規律を巡る攻防で米国の政治は燃え上がる。日本はいくら国債を発行して問題はないと。日米の大きな落差を感じざるを得ません。

この回顧録の執筆者の一人(読売新聞特別編集委員)が大型コラム(5月6日)を書き、「知らなかったファクトも多く語られ、安倍さんの持ち味であった語り口で、臨場感があった」という関係者の感想を紹介しています。確かにそういうところが多い本です。

一方、執筆者は斎藤次郎・元財務次官による回顧録への反論(月刊文芸春秋)には「落胆を禁じえなかった。(消費税10%への引き上げを巡り)安倍政権を打倒して、谷垣政権をつくろうと財務省は本当に暗躍したのか。その真偽を明らかにしてこそ説得力のある反論になり得たのだ」と、立腹しています。つまり暗躍したのかしなかったのかはっきり示せというのです。

斎藤氏の原稿の核心は「財政が破綻したら、国家が滅びる。省益とは次元が違う」という点です。そのためには、各方面にも説得、働きかけをするでしょう。それを「暗躍」「打倒」などと表現した途端に議論の質は劣化してしまうのです。

編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2023年5月29日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。