y-studio/iStock

財政再建は財務省の謀略とみた安倍氏との違い

米国の国債発行額の法定上限を引き上げることで、バイデン大統領と野党・民主党が基本合意に達しました。日本のメディアは交渉が決裂すれば、米国債が債務不履行(デフォルト)に陥り、マネー市場が大混乱に陥るため、大々的に報道してきました。

市場は交渉結果を好感し、日本の株も29日、500円高の3万1400円で寄り付きました。メディアは「またも土壇場の合意」「デフォルト回避へ」と報じています。この問題は米議会では政治的駆け引きの材料にも使われ、与野党が「痛み分け」で終幕することが繰り返されてきました。

米国債の発行残高の法定上限(31.4兆ドル)を超えることを25年までの時限措置として認めることになりました。この法定上限が野放図な財政悪化に対する一つの歯止めになっていることを日本はもっと注目したい。債務上限問題には、財政規律を巡る国家的議論という性格がある。

主要国の中で最悪の財政状態にある日本なのに、国債発行額(GDP比で260%)に上限はありません。国家予算案を与党主導で成立させれば、その大きな財源になっている国債発行額も自動的に承認されてます。財政をチェックする独立財政機関はどこの主要国にもあるのに、日本にはない。

日本の憲法には財政規律に関する規定はありません。憲法9条を改正をし、自衛力の向上を目指すなら、財政規律条項も加える必要があります。今のような調子で財政・金融状態の悪化が続けば、自衛力を維持する経済的基盤が失われる。そのことを野党はなぜもっと強調しないのか。

29日の日経新聞の大型解説欄(『核心』)は、「債務上限問題は政治ショーと言われながらも、大義名分は財政規律を巡る攻防だ」と筆者(論説委員長)が指摘しています。全く同感です。

解説では「安倍晋三回顧録」(2月刊、中央公論新社)の中で、安倍氏が財務省や財政健全化に対し、強い不信感を何度も発言していることに言及しています。安倍氏には財務省に対する極度の思い込みがあった。財政に対する日本の最高権力者の正直な財政観がよく伝わってきます。