ジャニーズ問題のもう一つの不思議な点は女性ファンたちの沈黙です。メディアで連日報道される割には(元)ファンの間で今一つ盛り上がらないのです。そしてジャニーズを支えた多くの女性ファンは複雑な気持ち故に言葉にできないというのが私の周りを見た限りの理解です。彼女たちがファンであったそのお相手が悪いことをしたわけではなく、ファンとして引き続き真正面から見てあげればよいのに女性たちはまるでパンドラの箱を開けて煙に巻かれたように、コンサートのあの熱気に包まれた興奮は遠い過去のものという感じを見て取っています。
ジャニーズは終わったのか、これは私が論じる話ではありません。が、多くのマスコミ、特にNHKを中心としたテレビ番組に於いて「薄々感じているが、『タブー』は見ないふり」で出演交渉をし続けたその姿勢は問われてもしょうがないでしょう。NHKの紅白などの出演を巡っての過去のジャニーズ争奪戦を考えれば国会で取り上げられてもおかしくないのです。もちろん、男色であったジャニー氏のご乱交振りは知らなかったと言い逃れもできるでしょう。が、「業界の常識と噂」は確実にあったはずでそれを知らなかったというのは藤島ジュリー景子氏が「知らなかった」というのと同じぐらいのおとぼけだということです。
市川猿之助さんの場合はもっと狭い世界だったと思います。一般の芸能人は芸能事務所に所属し、そこからお呼びがかかるというパターンかと思います。よって会社組織としてより開かれた人材ストックと派遣業であると言えます。ところが歌舞伎の場合には「家」がついてきます。ある意味、生まれたときからその道に進む宿命であります。よってその濃密な家のしきたりが時として人格すら狂わせるほどの圧力となると想像しています。
ジャニーズの件にしろ猿之助さんの話にしろ、囲い込まれた狭い社会をベースとし、一般人によそ行きの顔で接し、身内だけに素性を見せるのは多少は致し方ないと思っています。その点に限って言えば個人的には猿之助さん擁護派であります。つまりある意味、プライベートを暴かれた彼が辱めを受けたのです。週刊誌が他人の家の中の様子を覗き、記事にし、その性癖やプライバシーを暴き、金を稼ぐことが正当でしょうか?
ましてや今、社会はLGBT法案だと言っているわけです。人の性とその性癖については社会的ルールを逸脱しなければ容認しようと言っているわけです。とすれば猿之助さんの場合はハラスメント的要素はあるにせよ、性癖を暴いたことが社会の動きと真逆の悲劇ともいえるのです。
芸能人は自分を差別化することが好む好まざるにかかわらず必要になります。私が知るある有名芸能人の方は知人以外は決して一般人と交わりません。それは一般人の振る舞いがまるで「見せ物」であるかのような下品でリスペクトがない発言や行為を伴い、本人をいたく傷つけることになるからです。本人からそう聞いているので本当なのでしょう。
ジャニーさんの一件は開示されている情報だけで判断すれば法に触れたパワハラ。しかし、民事訴訟がないということは個別の絶対的な証拠がないかもしれません。一方、ジャニーズ事務所のネグリジェンスを訴えればジャニーズ事務所は存在できないほどの打撃を受けるでしょう。
それにもましてファンの女性がかわいそうかもしれません。彼女たちの青春を返せ、と言われたらどうしますか?とはいえ、マイケルジャクソンの一件も時を経て収まっています。芸能歴史の1つの事件簿なのかもしれません。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2023年5月28日の記事より転載させていただきました。