芸能の世界は私にとって異質であり、アンチャッチャブルな世界という意識が非常に強かったと思います。今でもそうです。そしてそこに生きる人たちもまた、一般人とは違うという意識を何らかの形で持ち合わせています。もちろん、一部の芸能人は一般人と芸能人の中間の生きざまの人もいるでしょう。それでも主流の位置づけは別々の世界だろうと思います。

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小さなお子様を持つ親は自分の子供を芸能界に入れたいと思う人もいます。私も高校受験の時「堀越学園に入ったら芸能人の卵たちと知り合いになれる」と勝手に妄想したこともあります。一般人にとってそこは覗いてみたい未知の世界であり、興味深い世界でもあるのです。

ですが、芸能の世界が美しい歴史の上に立っていたとは決して言い難いところです。江戸時代に於ける芸能関係者とは明白な敷居の違いがありましたし、戦後、日本の芸能を支えたのが在日韓国人であったこともまた事実です。在日の方々は当時、日本の一般企業になかなか勤めることが出来ず、自営としてできる数少ない選択肢の一つが芸能であったとされます。

ある意味、一般人が近づきにくい世界だけにその世界の独特の習慣、習わしなどが今でも燦然と残っており、芸能人も一般社会と区別することを一種のプロ意識と勘違いすることもあったようです。「おはようございます」は我々の世界では午前中という時間による設定ですが、芸能や飲食の世界ではその日会った時が夜でも「おはようございます」です。これが一種の「業界人」的な感覚となり、例えば六本木あたりでも一般人御用達とは区別された店に行くことに一種のステータスすら持つわけです。

その特殊性ゆえ、仮に自分にとって耐えがたいことでも「これを乗り切れば一流になれるかも…」という気にさせることもあるでしょう。ジャニーズの一件にしろ、女子のタレントの世界でいう枕営業(事実のほどは未確認)でも同じです。それで名が知れ、売れっ子となれば「努力の甲斐」かもしれませんが、それは氷山の一角であり、9割以上が水面下という厳しい社会において脱落組が必ずしも納得して去っていくわけでもないでしょう。そういう意味では今回の一件は別の意味での「カミングアウト」でもあるのです。