三代将軍家光は、23歳の時に鷹司孝子を正室として迎えたが、そのまま別居し、男色一途で女性を近づけたがらなかった。

だが、35歳の時に春日局が手配した蒲生家旧臣の振(自証院)との間に長女(尾張藩二代光友夫人)を儲けたが、それっきりであった。

ところが、37歳の時に、伊勢慶光院の院主で公家の六条家出身の尼さんが挨拶に来たところ、「あんな美しい女がいるのか」と大興奮。

つまり、春日局は家光にマリリン・モンローかエリザベス・テーラーみたいに色っぽい女性ばっかり世話したが、家光の好みはオードリ・ヘップバーンだったわけだ。

そこで、春日局はこの尼さんを還俗させて側室お万の方とし、これで女性に目覚めた家光は好みのタイプの女性に次々と子供も産ませた。

そして、41歳の時に、お万の方に似ているとして春日局が見つけた楽(宝樹院)に 四代将軍家綱を生ませた。さらに、綱吉の母になった京都堀川の八百屋の娘(現代のアイドル風のかわい子ちゃんであったことが増上寺墓地の発掘で分かっている)、公家の娘で文学部女性教授風の大典侍(大奥で文学の先生をしていた。その養女が島津藩を隆盛に導いて日本の歴史を変えた竹姫)など多士済々。

先天的なG指向を変えさせるのはいけないという議論が最近は有力だが、そうすると家光の趣向を変えさせたのは虐待ということになるのだろうか? 私もよくわからない。

「最近のLGBT議論で歴史の謎を解く」とか言う本書こうかなと構想しているが、とりあえず世界史的な観点からの捉え方は、近刊の『民族と国家の5000年史~文明の盛衰と戦略的思考がわかる』(扶桑社 5月28日発売)に書いておいた。