それから『論語』にもあるように、「君子は小知(しょうち)すべからずして、大受(たいじゅ)すべし。小人は大受すべからずして、小知すべし」(衛霊公第十五の三十四)。此の「大受」と「小知」は、全く資質が異なるものです。小さな事が出来るからと言って大きな事が出来るとは限らず、大きな事が出来るからと言って小さな事が出来るとは限りません。「君子は器(うつわ)ならず」(為政第二の十二)、「其の人を使うに及びては、之を器にす…上手に能力を引き出して、適材適所で使う」(子路第十三の二十五)のが大事を立派にこなす君子です。

最後に先述の「四耐四不」ということでも『孟子』にある通り、「天の将(まさ)に大任を是の人に降さんとするや、必ず先づ其の心志(しんし)を苦しめ、其の筋骨を労し、その体膚を餓えせしめ、其の身を空乏にし、行ひ其の為すところに払乱(ふつらん)せしむ。心を動かし、性を忍び、その能(あた)はざる所を曾益(ぞうえき)せしむる所以(ゆえん)なり」。孟子は、「天が重大な任務をある人に与えようとする時は、必ずまずその人の心や志を苦しませ、筋骨を疲れさせ、餓え苦しませ、生活を窮乏させ、全て意図とは反対の苦境に立たせる。これは、その人を発憤(はっぷん)させ、性格を辛抱強くさせ、できなかったこともできるようにするためである」、といった言い方をしています(川口雅昭編『「孟子」一日一言』)。

天からしてみれば、与えた様々を肥やしにしながら自分を磨き続け真の人物になって行きなさい、ということでしょう。孔子は「我を知る者は其れ天か」(憲問第十四の三十七)と天に絶対の信を置き、「人生のいかなる逆境も、わが為に神仏から与えられたものとして回避しない」(森信三)わけで、来たる大事に向け自分を鍛えるべく天がそうしているだけだと捉えることが基本です。明治から昭和の国語教育者・芦田惠之助先生も「自分を育てるものは結局自分である」と言われるように、自分を築くのは自分しかないのです。我々は不断の努力を重ね自らを磨き上げて人物と成るのです。

編集部より:この記事は、「北尾吉孝日記」2023年5月26日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。