大阪から駆けつけた関西奄美会の山口会長(写真右)©Hideo Nakamura

奄美群島は鹿児島と沖縄のほぼ中間の北緯28度に位置し、奄美大島から加計呂麻島、与路島、請島、喜界島、徳之島、沖永良部島、与論島までの8つの有人島を指す。総人口は約12万人、総面積は約1,231平方キロメートルに及び、すべて鹿児島県に属する。

ところが、太平洋戦争時に日本軍の要塞があった同群島は、戦後は沖縄同様、米国の領土となり米軍が進駐。日本円ではなくドルが通貨として流通していた。群島民98%による嘆願署名や断食運動など市民の切実な訴えで奄美が日本に返還されたのは1953年12月25日のこと。ちょうど今年が「返還70周年」の節目に当たる。

「(米軍政下におかれたのは」5歳の時でした。実家が米軍に接収され、軍人たちが母屋に住み自分たちは肩身の狭い生活を強いられました。日本本土との流通が分断されたせいで物資が乏しく、両親たちの苦労は並々ならぬものだったと思います」と語るのはパレード参加者の一人久野末勝さん(78)(奄美大島・龍郷町)。62歳の定年後に始めたチヂンの腕前も披露した。「でも、米軍に関してそんな悪いことはありませんでした。軍人たちもおとなしかった」と振り返る久野さん。東シナ海を挟んで中国と向き合う奄美に住む人だけに、パレードに参加して日米関係の奥深さを改めて痛感したと言う。

「こんなこと言っていいのかわからないけど、憲法9条では国は守れませんよ。中国は万里の長城を作ったような大国です。時間をかけてアメリカも日本も侵略しているのです。日本はその中国にピストルひとつなく丸腰で向かっているのが現状です。アメリカの核の傘の下に入っていないと生きていけない。これはもうどうしようもないですね」

前出の関西奄美会山口会長は「ニューヨークの人々の心の暖かさに感動した。雰囲気も最高でしたね。パレード中に沿道のアメリカの老婦人が『その島唄知っている』と声かけてきたのには驚きました。お父さんが軍人で名瀬(奄美大島の中心都市)に駐留していたそうです」。

山口さんは、復帰の日に日本の旗を振りながら裸足で村内を駆け回りまわった。70年の月日を経て、その同じ足がニューヨークの大通りを踏みしめた。「復帰に尽力した先人たちの熱い思いは忘れてはいけません」と唇を噛み締める。

(中村英雄)