芸能事務所の元トップの性加害事件が世間をにぎわせている。その芸能事務所のスターがいなければ多くの番組は成り立たないのだから、知っていても見ざる聞かざる言わざるの姿勢を取らなければテレビもそれに繋がっている新聞社も生き残れないのだから仕方がなかったというのか?

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ハリウッドの#MeToo運動につながったワインシュタイン事件の取材活動を映画にした「SHE SAID」を観た。被害者に対する圧力、新聞社(ニューヨークタイムズ)に対する圧力など見ていて、聞いていてうんざりするような映画だったが、告発された事件は、今回の事件と重なって見えた。そして、正義のために立ち上がって苦しみ・もがき続け、正義のために大スクープを発した新聞社が米国にはあったのだ。日本の腰抜けメディアとは対照的だ。

今回の大騒動もBBCの番組がきっかけだった。マスコミは故安倍総理に対する忖度を非難し続けたが、自分たちにそんな資格があったのか問いかけて欲しいものだ。大スポンサー企業が不祥事を起こしても扱いは小さく、大スポンサー企業の非科学的な宣伝をニュースにする。追い落としのために、権力者に利用される記者もいた。報道倫理など絵空事にしか見えない。「天に唾する」「ブーメラン」と揶揄している政党とどこが違うのだ。