そもそもが造化(…万物の創造主であり神であり天)は人類社会をより良くして行くよう此の世のあらゆる物を創り、人智では計り知れぬ知恵を結集し素晴らしい人間という存在を創りたもうたわけです。即ちその人間をして天自らの心を開くと共に、人間界に益益繁栄が続いて行くよう創りたもうたということで、人間というのは結局のところ「日に新たに」(『大学』)、昨日より今日、今日より明日と絶えず新たなる創造を繰り返し、常に自己革新を心掛け良き方に進んで行くことを志向する存在なのです。
であればこそ、溌剌とした明るさというものが必要なのです。清新溌剌でなしに、陰気でてきぱきしないような状況であれば、より良き世界を創るのは難しいと思います。だから安岡先生は、「人間の徳性の根本は清新溌剌である」とされているのでしょう。つまりは自分自身の生き方として、新たな境地を切り開いて行く等と、溌剌たるものが良いと述べておられるのだと思います。
徳(德)という字は、行人偏(彳)と直と心に分解されます。「直(なお)き心で行う」ということで、真実の心と言えましょう。自分が徳と特段認識しなくても、そういう真心というものを大切に思い、他者をどうやって幸せにするかを第一に考えるということです。その心の持様が此の世の中をより円滑に発展させて行くことに繋がります。人間が不朽の価値を持つべくは、此の徳性すなわち良心を天の意のままに実践し自らを育てて行かねばならないのです。
編集部より:この記事は、「北尾吉孝日記」2023年5月19日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。