アメリカは二分化どころか、大分散化時代を迎えたとみています。それは個々の生きざま、価値観の萌芽であります。日本も文化的に強く影響を受けているため、その流れを阻止することはできません。女性の権利、LGBTQの議論などが目立ってきたのはその表れのひとつです。
以前、私はWEB3.0の話をしました。ブロックチェーンのDAO(分散型自律組織)です。これはWEB2.0が社会の同調性とも言えるべき市場の支配者がビックデータを活用し、独占的行為を伴うものでしたが、WEB3.0の時代になり、本当に意見の合う小社会、共同体を作るという発想への変化です。そもそもはコンピューターの世界の話なのですが、これが実は社会にそのまま反映される事態になってきているのです。
上述の「アキバ」や「ブクロ」の趣味の世界に浸る人たちは私の感覚からすればDAOなのです。
私のブログのコメントを拝見していて強い自己主張や「〇〇さんに賛成」といったグルーピングの動きは昔からあるのですが、私から見れば、コメンテーターの一意見に過ぎず、それを一生懸命言って同調者を増やそうというの自己主張や自己表現なのです。10年前なら声の大きい人の「この指とまれ!」が有利だったのです。今は明らかに違います。
それは正解がない社会に突入したということです。成熟社会とは天国か地獄かの選択肢ではなく、海に行くか、山に行くか、という並列の選択肢に変わりつつあるのです。私が再三主張するように物事に対する解は無限にあるのです。そう考えることが出来ず、四択の一つしか正解は無いと教えられたのが日本であるのです。意見とはその人の立ち位置から見るものでシニアのゆとり層の眺望と2-30代のもがく世代とはまるで違う訳でそれが「異見」となるのです。よって意見を異見として否定すべきものではないのです。これが今の社会ルールになりつつあるのではないでしょうか?
私が以前、自民党は割るべき、と意見したのはこれだけ成熟したのにいまだに高度成長期時代のスタイルでものごとを捉えようとしているのです。官僚もしかり。当然ながら私の意見に異論は相当あったと記憶しています。が、社会は変わってきています。アメリカという顔が見えにくくなっているのと同じように日本の顔も見えにくくなるのです。が、個々の小さな細胞分裂したコミュニティは新しい形で統合、結合し、再発展するものです。
我々には様々な声にフィルターをかけずに見る努力が求められるようになったのではないでしょうか?
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2023年5月21日の記事より転載させていただきました。