その対象は、一般的に女性、性的マイノリティ(LGBTQ+)、人種/民族/宗教/言語等における少数派、障がい者、高齢者である。「老婆」「家内」は女性を侮辱あるいは軽視する表現だが、こうした明らかな問題用語はともかくも、無意識のうちにポリコレに反する言葉を使うことは結構あるように思われる。

たとえば、私たち日本人にはイギリス人といえば白人というイメージが植え付けられているので、非白人系イギリス人につい「出身(国)はどこ?」と尋ねてしまうかもしれない。しかし、それは極力避けなければならない。というのも、その人の出身国は問われるまでもなくイギリスなので、ポカンとされるばかりか、人種/民族差別主義者と非難されかねない。代わりに「ルーツ」を聞くのが無難である。

なかでも、女性や性的マイノリティといったジェンダーにまつわるポリコレはハードルが高い。以前の投稿でも述べたが、「男女平等」「男女を問わず」のような男性と女性を並列する表現は、性別二分論に立ってジェンダーの多様性を無視するため、使用を避けるのが賢明だ。

また、当該人物が自分の性別やジェンダーアイデンティティを明らかにしていない場合、その名前や外見から勝手にジェンダー(性別)を特定せず、どのジェンダーカテゴリーに属するのか、本人に率直に聞くのが望ましい。

文章中のある人物について三人称を使う事例では、ハードルがさらに上がる。性別二分用語の彼/彼女に代わる言葉は何か。英語圏では「they」が提唱されているが、たった一人を指して「they」というのは抵抗がなくもない。日本語だと「彼ら」になるが、この表記だと男性を指すことになるので、「かれら」であろうか。私自身は、極力三人称の使用を避け、名前を繰り返す、「同氏」という表現にするなどしてお茶を濁している。

ポリコレは煙たがられ、不当な「言葉狩り」だと非難されやすい。これは、日本に限ったことではなく、英米でも同様で、バックラッシュを受け、保守派や右派の攻撃の的になってきた(The CONVERSATION, “Political Correctness: Its Origins and the Backlash Against It,” August 20, 2015)。

ポリコレに自由の侵害や監視社会のような負の側面が付きまとうのは確かだ。しかし、ポリコレを声高に非難するのが大抵は正さなければならない言動を行なってきた側であり、他方正そうとするのはそうした言動の被害者だということを考えれば、非難は当事者の自己弁護のようにみえる。

過剰に言い立てることは慎むべきだが、この概念は「誰もが暮らしやすい共生社会」(首相官邸)には欠かせない作法なのである。