スパルタ教育が招いた悲劇なのか――。完全犯罪を企てて両親を殺害した娘だったが想定外の奇跡が起きて用意周到に画策された将来設計は敢え無く崩れ去ることとなった。
成功した移民家族
より良い生活を求めて1979年にベトナムからカナダへやって来たホイ・ハン・パンさんと妻のビッチ・ハン・パンさんの夫妻は自動車部品工場などで身を粉にして働き、倹約した生活で貯蓄に励み、その優秀な働きぶりが認められて出世し、移民によるサクセスストーリーの典型例となった。

(画像=パン夫妻 「Bugged Space」の記事より、『TOCANA』より引用)
経済的安定を得た時期に2人の子供を授かったのだが、パン夫妻は移民2世となる子供たちの教育に惜しみなく投資した。
長男・フェリックスはに名門大学で機械工学を学ばせて自動車設計の道に進ませ、長女・ジェニファーには幼少の頃からピアノとフィギュアスケートを習わせていた。
ジェニファーは幼い頃からそうした習い事に毎日のように励み、それぞれかなりの熟達を見せてはいたが、ティーンの時期に来ると現実的に考えて両親は長女を薬剤師の道に進ませることにしたのだった。
高級住宅街の邸宅に住み、高級車2台を乗り回すまでに成功したパン一家にはこの先さらなる繁栄が待っているかに見えていたが、実はジェニファーはその頃から少しばかり“ついていけない”思いを抱いていたのだった。

(画像=ジェニファー・パン 画像は「Wikipedia」より、『TOCANA』より引用)
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