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15馬力アップのRA302Eを搭載、無敵だったブラバムBT18
鈴鹿サーキット放出のブラバム車で発展した国内フォーミュラ

15馬力アップのRA302Eを搭載、無敵だったブラバムBT18

「無敵のミッドシップ」が描いた国内フォーミュラの未来!日豪によるF2プロジェクト、ブラバム・ホンダBT18【推し車】
(画像=ブラバム・ホンダBT18快進撃の文字通り原動力となったRA302Eエンジンが収まるボディ後端、『MOBY』より引用)

しかしそれでブラバムがホンダを見限ったわけではなく、改良して15馬力アップの

150馬力以上を発揮したRA302Eエンジンを搭載したブラバム・ホンダBT18で1966年シーズンを戦うと、緒戦のグッドウッドでブラバム自身が勝利したのを皮切りに連戦連勝!

この年はまだF2ヨーロッパ選手権が開催されておらず(翌1967年から)、各国の選手権や非選手権の単発レースをまたぎ、ブラバム自身かチームメイトのデニス・ハルムのいずれかが必ず勝つ形で連勝(※)、最終戦ブランズハッチを除きBT18がほぼ全勝します。

(※ホンダコレクションホールの説明などでは「11連勝」とされていますが、なぜかフィンランドのケイモラ・モータースタジアムで開催された1戦を含んでおらず、実際には12連勝という指摘あり)

当時のF2は翌1967年より規格変更、排気量が1,300-1,600ccへと変わる事になっている「1,000ccのF2最終戦」であり、他のエンジンコンストラクターが注力していなかった可能性もあるとはいえ、ホンダRA302Eを積むBT18の圧倒的な速さは確かでした。

翌年から1968年までホンダはF1に注力、ブラバム・ホンダF2は1966年までの2年限りでしたが、ジャック・ブラバムは第2期ホンダF1でもアドバイザーを勤めます。

さらにトーラナックも後に設立したラルト・カーズで1980年からホンダと再び組み、ラルト・ホンダF2によるヨーロッパF2選手権での好調を足がかりにF1へ復帰したホンダは、ブラバムの助言でウィリアムズへのエンジン供給を開始。

その後のウィリアムズやマクラーレンによるホンダ第2期F1の快進撃は、1965〜1966年のブラバム・ホンダF2を原点としている、と言ってもいいでしょう。

鈴鹿サーキット放出のブラバム車で発展した国内フォーミュラ

「無敵のミッドシップ」が描いた国内フォーミュラの未来!日豪によるF2プロジェクト、ブラバム・ホンダBT18【推し車】
(画像=BT18はBT16に引き続き、堅実でシンプルな鋼管パイプフレームで、エンジン載せ替えなどにも都合が良かった©Eagle2308/stock.adobe.com、『MOBY』より引用)

こうした1960年代のホンダF1、ブラバム・ホンダF2の活躍は、1963年に鈴鹿サーキットで開催された第1回日本グランプリから本格化した戦後の国内4輪レースへは、当初あまり影響を与えませんでした。

何しろ主催者もメーカーも参加者も、2輪上がりを除けばほとんどは知識がなく、「レースとはなんぞや?」から試行錯誤で始まります。

最初は市販車改造でとにかく走り、舞台を新規開場した富士スピードウェイに移すと、R381やトヨタ7など大排気量モンスターマシンの大馬力最高速合戦になっていき、フォーミュラカーレースも始まってはいたものの、あまり注目を集めません。

三菱がコルトF2、富士重工(スバル)が上州F3国定で参戦するといってもデル・レーシングなど国産フォーミュラのマシンコンストラクターはまだまだ小規模で、レースへ参戦するマシン自体が国内にあまりないから仕方ない…と思いきや、思わぬところからザクザクと。

実は、ホンダがブラバムと組んだ時点で鈴鹿サーキットでのフォーミュラスクール開催を計画、ブラバムBT16やBT18を20台ほど仕入れたのですが、その後の方針変更でスクール計画は宙に浮いてしまいます。

そのうち、少しずつ盛り上がるフォーミュラカーへ参戦したいレーサーがマシン調達に苦労しているうち、誰かが鈴鹿にブラバムのマシン、それもほとんど新品の極上車が寝ている事に気づきました。

鈴鹿サーキット側も売却へ応じ、購入したそのままか、調達したエンジンに載せ替えたブラバムBT16やBT18が国内で数多く国内フォーミュラカーレースへ参戦、三菱コルトF2や、オーストラリアやニュージーランドから遠征したタスマンシリーズのマシンと戦います。

これで一気に参戦台数も増えて盛り上がり、開発競争も進んで大排気量モンスターマシンと遜色ないラップを刻むようになった国内フォーミュラは、やがて軽自動車のエンジンを積むFJ360などフォーミュラ・ジュニアも巻き込み、国内レースの新興勢力となりました。

ホンダエンジンを積んでの連勝記録ばかり注目されがちなブラバムBT16/BT18ですが、日本にとっては「国内フォーミュラを大いに盛り上げたマシン」としての役割の方が、はるかに大きかったかもしれません。

※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。

文・兵藤 忠彦/提供元・MOBY

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