黒坂岳央です。
人の価値観は十人十色だが、ほとんどの人から嫌われる属性が「時間泥棒」である。
時間は人生における最大の価値資源であり、どれだけ大金を積んでも直接的に物理的な時間を買うことはできない(間接的には買えるが)。そしてお金は時間を使えば生み出すことができるため、論理的に「時間>お金」という構図を導き出すことができる。そしてすべての人は人生の使える時間に限りがあるため、ムダに時間を奪う人は嫌われてしまうのは不思議ではない。
今回は筆者の視点で時間泥棒の特徴を考察したい。

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ゲームや映画、おしゃべりは時間泥棒ではない
最初に時間泥棒の定義をしたい。生産的ない行為が時間のムダではないということは最初に取り上げたい。たとえばゲーム、漫画、映画、他愛もないおしゃべり。これらすべては一見するとムダな時間に思える。なぜなら一切の経済的富を創出しないからだ。だが、重要なのはGDPではなく、あくまでこうした活動がその人自身にとって有意義かどうかである。
自分は上記にあげたすべての活動が好きだ。余暇時間はゲームや漫画をしたり、仲のいい人と目的のない会話も楽しいと感じる。だから時間泥棒的行為とは考えない。その一方で同じ行動でも楽しくない、面白くない場合は真逆の結果になる。
すなわち、まったく興味がないとかつまらないと思う作品を退屈を我慢して見たり、つまらないおしゃべりに突き合わされるのは時間泥棒にあたる。GDPはおろか、心身のストレス要因でしかないためである。つまりは何のメリットもない。
ただ、情報コンテンツと人の最大の違いは、損切りの有無にある。たとえば面白くない記事や動画、ゲームや漫画を掴んでしまったら、その瞬間に視聴をやめるという選択肢がある。だから時折、質の低いコンテンツに対して「時間を返せ」といっている人がいるが、適切な損切りの技術を持てばこのような不快感を回避できるだろう。
一方で、特に対面で人と会話をする時は簡単に切り上げることができない。早めに切り上げる技術はあっても、「あなたとの会話は時間のムダなのでやめよう。では」とはできない。人は取扱いが慎重にならざるをえないため、入り口で時間泥棒の兆候が見えたら速やかに撤退する戦略が求められると思うのだ。