挫折感でいっぱいだった

―――あきらめる方もいらっしゃるんですか。

多いです。その学校を卒業したら終わりでもなくて、卒業後も仕事が取れないと意味がないじゃないですか。だから、その難しさを学校で教わると、「この先これを仕事にしていくのは無理だ」という感覚に何度も襲われます。

(学校には)現場で活躍している通訳者が教えに来てくれるんです。だから本当に厳しい現場の話も聞けますし、通訳者養成学校という安全な環境の中でトレーニングを受けているだけなのに、「こんなにできなくてボロボロになるのか」という感覚も味わうので、挫折感でいっぱいの学校生活でした。

―――英語圏ご出身でも、難しさをものすごく感じてしまうものなんですね。

歴史・政治・経済・文化、それぞれのフィールドがありますよね。私は帰国子女なので日本史がものすごく苦手。この苦手意識が芽生えると、もう訳せないんです。英語はまだ大丈夫だったんですけども、その英語力もものすごく注意されるんですよ。「『s』が付いている、付いていない」といったことやちょっとした時制の違いでも指摘されます。

ただ、それは重要な指摘で、たとえば投資家と企業との間のIR、インベスターリレーションズ関係のミーティングをしているときに「これから景気が良くなる」と断言したのか「良くなると思います」と言ったのか、その微妙なニュアンスを間違えただけで大問題。過去形と現在形の使い分けについても、ものすごく正確にやらないといけないので、学校にいる段階で、ちょっと英語がまずいだけでボコボコに指摘される。自分が自信を持っていたはずの英語力でさえボコボコにされるという。

―――帰国子女じゃない方がなるのには、相当ハードルが高いでしょうか?

帰国子女は有利だとは言われていましたが、日本にずっといて一生懸命勉強されてきた方の英語力もかなり高いです。だから、どっちのルートで極めたかという違いでしかないと思います。帰国子女は子供時代にちょっと海外に行っていただけであって、海外の大学まで出ていないかもしれないじゃないですか。そうすると意外と子どもが話すような英語になっちゃっているところもあって、ビジネス通訳で使うには未熟すぎるんです。だから、帰国子女は発音の部分で少し優位な面もあるかもしれませんが、同じようにちゃんと勉強しないといけないと思いました。

成果に対してもらえる報酬に喜び

卒業したころ、ちょうど景気がすごく悪くなって大企業もコスト削減やノー残業デーをやり始めたんですよ。遅くまで働くことにも、すごくやりがいを感じてハッピーだったのに、早く帰されるって納得いかなかったんです。もっと働きたいのに18時ぐらいになると「はいパソコン消しますよ」って上司が現れて。

18時半とかに帰宅して何しようかと考えたとき、翻訳をちょっとやってみようと。翻訳コンテストに応募してみて、少量の日本語を英語に訳したんですよ。そしたら優勝しちゃって報酬として5万円もらいました。やった分だけ報酬がもらえるという感覚は初めて。会社でしっかりとお給料はいただいていますけども、自分の余ってるエネルギーを何かに注ぎ込むと、その分成果が出て報酬をもらえることにすごく喜びを覚えました。


橋本さんが同時通訳ブース内にいつも持ち込んでいるアイテム。鉄板のパイロットのTIMELINE(ペン)、耳掛け式のイヤホン、ジャック、タイマー、リップ保湿アイテム

それで味をしめて今度は通訳・翻訳のエージェンシーに行ったんですね。内職になっちゃうけど「空いた時間で翻訳したい」とエージェンシーの社長にメールで伝えたら、履歴書を見て「通訳者養成学校出てますよね、なんで翻訳なんですか」と突っ込まれました。「会社辞める気ないし、ちょっとお小遣い稼ぎができたらなっていうノリで来たんで」と返したら、「いや、これ通訳者でしょ。あなたは絶対通訳に向いてる」って言ってくださったんです。

その言葉をきっかけにビビリながら会社を辞めることにしました。ただ、モーレツ社員(※2)っぽい体質が抜けなくて有給も全然消化せずに金曜日まで勤めて、月曜日から通訳者になりました。

※2 モーレツ社員:会社への忠誠心が非常に高く、自分や家庭などを犠牲にしてまでがむしゃらに働くサラリーマンのこと

厳しい道のりを乗り越えてビジネス通訳として活躍していた橋本さんが、どうしてふなっしーやピコ太郎の通訳を務めることになったのか、インタビュー(2)に続く

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