スイス公共放送(SRF)のスイス・インフォ(5月7日配信されたニュースレター)でスイスの法学者マーク・ピエト氏は、「中立には疑問が付され、金融センターとしての地位も危うく、政治はビジョンに欠ける。スイスのアイデンティティーを支える柱が揺らいでいる」と警告を発し、「クレディ・スイスの終焉は、飛行停止に追い込まれ破綻したスイス航空の最後を思い出させる。両者とも経営陣が愚鈍で融通が利かないといった共通点はあるが、クレディ・スイスの没落はずっと劇的だ。クレディ・スイスの破綻危機はスイスの金融センターの根底を揺るがし、スイスのバリューチェーン(価値の連鎖)の中核を為す前提条件が疑問視されている」と受け取っている。

スイスといえば、世界の資金が集まる金融立国だが、同時に、マネーロンダリング(資金洗浄)、権力者やオリガルヒ(新興財閥)などの不正資金が集まる拠点という好ましくない汚名がついてきた。ウクライナ戦争の影響もあって、欧米諸国からはスイスに対しロシアのオリガルヒの資金凍結などを実施するよう圧力が高まっている。そのような中、スイス第2の銀行クレディ・スイスが167年の歴史に幕を閉じ、最大手行UBSに買収された。世界の金融センターのアイデンティティが大きく揺れ出したのだ。

ピエト氏は、「関心を払うべきテーマは危機管理だけではない。1291年の建国以来、スイスは国際的な批判を受けると要塞に立てこもり内向きな対応をとるのが常だが、この基本姿勢を根本から見直す必要がある。今こそスイスは仲間を作る努力をする時だ。欧州連合(EU)に今すぐ加盟しろというわけではない。早急に先手を打って、スイスと同じく民主主義や法治主義を重視する価値観が似た国に接近しなければならない」と述べている。かなり深刻な叫びだ。

ウクライナ戦争でスイスの中立主義が批判の対象となっている。スイスは一応対ロシア制裁を実施しているため、ロシアはスイスをもはや中立国と見なしていない一方、西側諸国はスイス当局がウクライナへの武器再輸出を拒否しているため、スイスを信頼できる友好国とはみなしていない(「ロシア『スイスは中立国ではない』」2022年8月22日参考)。

中立主義は長い間、平和と豊かさの秘訣とされてきたが、ウクライナでの戦争を機に、世界からご都合主義的で時代遅れと見なされている。スイス国内では保守派の国民党は厳格な中立主義の堅持を主張する一方、リベラルな政党は柔軟な中立主義を標榜している、といった具合だ。

このコラム欄でも紹介したが、カシス連邦大統領(当時)は昨年5月末の世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)で、「スイスは『協調的中立』を追求する」と語ったことで注目された。ちなみに、1815年のウィーン会議でスイスに永世中立権が付与された際、戦勝国はスイスの領土を戦場にしない代わりに、スイスに紛争参加と傭兵の提供を禁止する取り決めを行った(「スイスの『協調的中立』の行方は」2022年7月2日参考)。

スイスでの中立論議はまだ続くだろう。国連に加盟したが、EU加盟は中立主義の放棄にもつながることから、現時点では考えられない。スイスの中立論議を追っていると、同じ中立国の隣国オーストリアでは中立論議がほとんど聞かれないことに驚く。「オーストリアの中立主義は信仰だ」と揶揄される所以だが、ウクライナ戦争の勃発後、欧州の中立国がNATO加盟を模索し、スイスでも国内で激しい論議を呼んでいる中で、(中立主義の再考を考えない)オーストリアは「スイスの苦悩」をどのように受け止めているのだろうか。

編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年5月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。