これに対して、田中二郎先生も

根本の考えにおいて、私は今我妻先生のおっしゃったところに全く賛成です。

憲法をルーズに解釈してずるずるに、あたかもそれを改正したのと同じような実質的内容を与えていこうということは考えものです。

と述べている。

また我妻先生は、こうも述べている。

この憲法のもとにこれ以上のことをやるのは何と言ってもこじつけだ。そこで事情をはっきり示して、国会でも十分討論して、最後には国会の意見を聞いて、こうした事情、ああした事情でできた憲法がこうした国際事情になった時に、我らは何をなすべきかということをはっきり決定すべきではないか。つまり抜足差足では困る。ここでちゃんと歩き直さなくちゃならぬのじゃないか。

これに対して、宮沢俊義先生も「私もその意見に賛成です」「こういう難しい問題については、やはり国民全体が十分討議して、決定するチャンスを与えることは非常に望ましい」と述べ、田中二郎先生も、これに対して「私も全く同感です。」と述べている。

また、団藤重光先生は

国内の秩序維持のために客観的に必要な限度ということが警察力の本質なのでそれを超えると戦力になる。

国内秩序の維持のために使うのだから警察力だ、戦力じゃないのだというのは非常に乱暴な議論だと思う。

とも述べ、石井照久先生も「それは全くそう思います。」と賛同の意を示している。

このように、警察予備隊から保安隊への改編時の1952年当時から、「戦力」に相当する実力組織を無理な解釈で「戦力ではない」とすることは「非常に乱暴な議論」とされていたわけである。

あれから70年以上の月日が流れ、今、憲法9条改正の議論をしている時に、依然として自衛隊は戦力ではないとする「解釈」を前提に進めることは、積年の宿題に答えを出すものどころか、むしろ長年引きずってきた「こじつけ」を固定化させることにつながるのではないか。今こそ、これ以上の「抜足差足忍足」ではなく「ちゃんと歩き直す必要」があると考える。

憲法9条こそ、軍事的公権力の行使という最大の統治行為に関する規定である。まさに厳格に解釈すべき「ルール」「準則」であるはず。だからこそ、無理な解釈から卒業し、自衛隊を明確に戦力と位置付けることが、憲法の規範性を回復する上でも必要であることを指摘しておきたい。

衆議院インターネット審議中継より

編集部より:この記事は、国民民主党代表、衆議院議員・玉木雄一郎氏(香川2区)の公式ブログ 2023年5月11日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はたまき雄一郎ブログをご覧ください。