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前稿③では、IPOの後、つまり株式市場に現在ある企業の状況をPBRという切り口で見てきた。日本では、社歴が長くかつてブルーチップスと呼ばれた企業に低PBRの企業が多いが、本稿では特筆すべき日本の地方銀行の超低PBRについて見ていこう。

(前回:衰弱する資本主義③:低いPBR)

地方銀行

ここで、なぜ地方銀行に目を向けるのか、少し触れておこう。

資本主義は弱っている、という本稿の基調だが、それでは“どうする”と、いう問いたくなる。それは、大きなテーマであり、かつ政策論的課題であるから、ここでは限定的に次のように言うしかない。

資本主義は常に拡大をめざす経済体制である。抽象的に表現すれば、価値の無限の増殖運動である。その資本の運動が方向性と強度を持っている、つまりベクトルだ。それはいくつかあり、その具体像を把握するには、資本が運動する舞台を設定する必要がある。

舞台とは、特定の時間(期間)と空間のことだ。期間を戦後、空間を日本と設定してみると、そこにいくつかのベクトルを見い出すことができる。例えば、農業⇒工業、そして工業⇒サービス業、あるいは製造業⇒金融業、地方⇒大都市(特に東京)・地方分散⇒一極集中、中小企業⇒大企業などである。さらに経済学領域だけでなく、社会学、政治・行政学などに目を移せば多くのベクトルが確認できる。

弱った資本主義への対応は二通り考えられる。ベクトルの基本方向は変えずに、微調整する、つまり副作用の緩和を中心課題にする。第二は、混乱を最小に抑えつつ、ベクトルそのものを変える。その際は、W.シュトレーク注1)の言うように長期の過渡期を意識する。

さて、地方創生という課題だが、これはどちらの方向を選択しても避けて通れない。現在まで進行している地方⇒大都市というベクトルでは、大きな副作用があった。「増田レポート」の警告は「地方小都市の消滅」だ。住むところがなくなるという問題を放置できない。他方、大都市、東京一極集中⇒地方分散のベクトルを選択すれば、それは“地方創生”そのものである。

地方創生が、イデオロギーを超えて、共通の政策課題であることは、政治状況の変化でそれが一時的に下火になっても変らない注2)。

この不可避の課題をどう達成するか。金子勇がで示した論文注2)、そして「アゴラ」でしばしば提示したのがDLR理論である。DはDirectionで方向性、LはLevelで推進する主体の意思の強さと力量、RはResource、該当地域にある社会資源である。

地方銀行を考えてみよう。彼らが持つものと言えば、まず資金であるが、それが主要な資源Rであることは言うまでもない。