米ケンタッキー州の上空に出現したUFOを戦闘機で追跡した第二次世界大戦の空の英雄が非業の死を遂げた――。はたしてUFOに撃墜されたのだろうか。
■UFOを無酸素で追跡した空の英雄
残された記録によると、1948年1月7日の米ケンタッキー州北部のルイビル近郊は気温4度と冷え込んではいたものの降水量ゼロの晴天で風も弱く穏やかな日であった。
澄み渡った空で視界が良好であったことも手伝ったのか、この日は午前中から午後にかけて近隣住民による未確認飛行物体の目撃を訴える電話がケンタッキー州警察に相次いでいたのだ。
ケンタッキー州北部フォート・ノックス近郊にあるゴッドマン空軍基地の人々も空のUFOに気づき監視を行っていた。2人の航空管制官によるとUFOはアイスクリームのコーンのような円錐型か、あるいはパラシュートに似たものであると説明し、この白い物体が午後の空にはっきりと見えたと話している。
この日、第二次世界大戦の空の英雄であるトーマス・F・マンテル大尉(当時25歳)が率いるF-51戦闘機の4機編隊が付近を低高度で訓練飛行中を行っていたのだが、一帯から止むことのないUFO目撃報告に司令官はマンテル大尉らに訓練を中止し、このUFOを追跡するようにと指示を出したのだ。燃料不足であった1機は離脱して基地に向かい、3機でUFOを追跡する作戦がはじまったのである。

午後2時45分、マンテル大尉は高度1万4000フィート(約4300メートル)でUFOを確認したと基地に無線で伝えた。そのすぐ後にはさらに1万5000フィートまで高度を上げたことを報告した。
30分後、マンテル大尉は無線でまだまだ高度を上げるつもりだと報告し「UFOは私の頭上前方にあり、自機の速度またはそれ以上の速さで移動しています。よりよく確認するために近づいていきます」と伝えた。
高度を上げてUFOを追跡していた飛行隊だったが、大尉以外の2人のパイロットは高度2万2000フィート(約6700メートル)で断念して離脱した。機内に酸素が装備されていなかったため、彼らにとってそれ以上の高度は危険過ぎたのだ。
おそらくマンテル大尉も同じ状況であったはずだが、大尉は孤軍奮闘してUFOを追跡したのである。
午後3時30分頃、マンテル大尉は無線で追跡を続行中であることを報告し、これから約10分かけて2万5000フィート(約7600メートル)まで上昇すると説明したのだった。
その後、何度か聞き取ることのできない短い無線が入ったのだが、しばらくするとマンテル大尉との通信は途絶えたのである。
