「環境保護という目的は良くても、公共秩序を乱し、多くの人々に迷惑をかける活動は許されない」という声はやはり多い。路上で環境保護を訴えるプラカードを掲げて動かない活動家に対し、1人の男性が車から降りてきて、「お前たちは何をしているのか。われわれは仕事に行くのだ」と叫び、足で活動家を蹴っ飛ばすといったシーンがニュースで放映された。
「最後の世代」関係者は、「われわれの運動は人気コンテストではない。気候変動の危機を訴えているのだ。そのために人気がある必要はない」と割り切っている。その主張は非常に攻撃的だ。
テレビでは「最後の世代」のメンバーたちとのインタビューを頻繁に報じている。それを聞いていると、彼らは「自分たちはいいことをしている」といった強い確信があることが分かる。だから、「道路を封鎖して運転者を少々困らせたとしても仕方がない」といった論理が出てくるのだろう。地球温暖化の阻止という目的のためならば、手段を選ばない、といった論理だ。辛辣な国民からは「環境保護活動家はテロリストと同じ論理だ」といった批判の声が聞かれる。
エジプトのシャルム・エル・シェイクで昨年11月6日から開催された国連気候変動枠組み条約第27回締約国会議(COP27)でも関係国間の利害の対立があって環境保護の進展は遅々たるものに終わった。「これでは何も改善されない」という危機感が環境保護運動の関係者の間に生まれ、「最後の世代」のような過激な行動を展開するグループが出てきたのだろう。
当方は「最後の世代」のメンバーから強い終末観を感じる。例えていえば、「ヨハネの黙示録」の世界だ。今立ち上がらなければ遅い、といった強迫観念とでもいえる。彼らは社会から批判され、罵倒されれば、それだけその信念と結束を強めていく。是非は別として、「最後の世代」のメンバーには一種の使命感を持っている者が少なくない。それだけに、道路封鎖を止めろ、と説得するのは容易ではないわけだ。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年5月7日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。