私の顧問弁護士が今年70歳になります。彼はバンクーバーでも有数の大手法律事務所勤務でかなり上の地位まで上り詰めたのですが、会社の規定により70歳の誕生日で通常雇用は終わります。つまり定年退職。「で、どうするのですか?」と聞けば「1年契約の雇員があるのでしばらくはそうなるよね。だけど、君のアカウントは若い後任に引き継ぐよ」と。

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彼はランニングや自転車を毎日するとても健康的な人で70歳には見えないし、まだ全然現役で勤められます。しかし、彼はこう続けたのです。「君も知っての通り、僕たちは二十数年前に内陸部に別荘を買ってそこに時間があれば行くのだけど、ワイフがもうバンクーバーから離れて内陸のその別荘で余生を過ごしたいっていうのだよ」と。「ワイフは俺がリタイアするのを心待ちにしていたんだ」と。
哀愁を伴う話です。もちろん、仕事はリモートで出来るので表面的な業務は問題なくこなせるでしょう。しかし、街中の喧騒、事務所の緊張感、人々が忙しそうに動き回る中で自分を切磋琢磨するという社会からは離れるのです。彼にとって弁護士としての45年は充実していただけに定年という容赦ない仕切りラインは妙に人生観を変えるのです。
ある日本の大手企業に勤める50代の方と酒を飲みかわしていた際、彼が「僕は一日一本ずつ好きなワインを飲んでいく人生を送りたいんです。それが一本2000円でも一年でたった73万円なんですよ。それだけで楽しみが増えると思えば気持ちは楽ですよね」と。彼は数年後、関連会社に転出し、その後、割とすぐに退社したと聞いています。今頃もワインを飲み続けていることでしょう。
日本の企業に勤める50代の方々の背中には積年の物語が見えるのです。そのほとんどが定年というゴールに向かっているのです。もちろん、一部の会社は定年を65歳にするとか、再雇用制度をしっかり築いたと発表していますが、それは雇用側の小手先のまやかしなのです。もちろん、年金受給年齢と60歳定年の5年間のギャップを埋めるといった経済的な現実問題は重要ですが、定年というゴールはマラソンと違って決して嬉しくないゴールになり替わったのではないかと思うのです。