昨日Twitterで話題になっているツイートを目にした。

日本のリベラルは、ウクライナに侵攻するロシアやウイグルで虐殺を起こしている中国ではなく、無関係の日本政府に対して戦争反対と主張するのはなぜ?

これは1960年代から1970年代にかけての学生運動にも見られた指摘だ。なぜベトナムに侵攻するアメリカでなく日本政府に反戦デモをしているのか?と。この疑問は筆者が貪るように読んだ山本七平(※)も書いていた話だ。

※ 「空気の研究」や「日本人とユダヤ人」の著者

ツイート自体はただの皮肉だが、学生運動への批判は当時としては極めて恵まれた環境にある大学生が勉強もせずにヘルメットでゲバ棒を振り回していることへの批判であり、当事者に直接抗議をしない非合理な行動への批判でもあった。

学生運動は60年代と70年代、二度にわたる盛り上がりを見せた。その象徴が東京大学の安田講堂をバリケード封鎖した安田講堂事件だろう。

軍事顧問団という謎の名目でベトナムに数十万人も派兵するアメリカと手を結ぶ象徴として日米安保があったが、新安保は60年に成立、70年には10年後の改定を迎えた。学生運動の失敗で反体制を掲げた多くの学生は日常に戻って就職し、高度経済成長期を支えた。いわゆる「政治の季節」の終わりである。

その後の日本はオイルショックを経たものの、バブルが崩壊するまで長く続く安定成長期を迎える。皮肉なことに日本の成長はかつて反体制運動に身を投じた学生運動世代が支えた。

その一方で学生運動で敗北した一部の残党は日常に戻らず過激化、先鋭化した。その結果、よど号ハイジャック事件、浅間山荘事件、テルアビブ空港銃乱射事件等の血生臭い事件を引き起こした。経済成長で豊かになっていく日本人がこれらのテロリストを支持するはずもなかった。

いずれもリアルタイムで体験したわけでない筆者は、学生運動が当時どれくらい支持されていたかその肌感覚までは知るよしもないが、現在で言うSEALDsくらいの賛否両論と言ったところだろう。学生運動の盛り上がりをよそに選挙では与党が議席を伸ばした。