自分で決断しない機会損失
自分がレビューを支払い前に見ないもう1つの大きな理由は、レビューを見てしまうことで機会損失になると思っているからだ。
たとえば飲食店についていえば、正確性を欠き、個人の価値観をあたかもファクトであるように取り上げるレビューは少なくない。筆者が大変気に入っている近所のあるレストランは平均星2つの評価がつけられている。星2つ、これではレビューを重視する人なら来店を控えるだろう。
だが、自分はグルメな人の勧めで初めていったが、結果的に大変素晴らしいお店だと感じた。味も接客サービスも価格もすべてが最高だった。東京でもかなり名店と呼ばれるお店を利用してきたつもりだが、このお店は東京とくらべてもまったく引けを取らないレベルである。
来店後にレビューを見てみたが、星評価が低いレビューは「他の利用客が騒がしかった」とか「接客対応が良くなかった」というものが多く、実際言ってみるとそんなことはまったくなかった。聞くと見るとでぜんぜん違う。
この店舗には10回以上足を運んでいるが、不快になることはこれまで一度もなく、自分はとっておきのVIP客が来た時はこの店に連れていってもてなしている。もしも、来店前にレビューを見てしまったら低評価に懸念を感じて来店しなかったかもしれない。
その逆に評価が高いからと言って、自分にとって良い保障はない。具体的な名称を出すことは控えるが、ゲームや映画のシリーズ作品で「過去最高の売上!」「最高評価をヒット!」というものがあるが、体験してみると自分にはまったく合わず、むしろシリーズ作品で一番楽しめなかったということはこれまで何度もあった。
「自分が正しくて世間の評価が間違っている」などと傲慢な事は言わない。むしろ逆で「自分の感性が世間と違っているのだな」という認識である。しかし、重要なのは自分自身が楽しめるかどうかである。やはり、体験しないと本当のことは分からない。だからレビューを事前に見てバイアスを受けないほうがいいのだ。
自分にとっていいなと思えるお店や作品は大きな価値である。レビュー頼みでは発掘できない「お宝を見つけたような感覚」を得た時はとても嬉しくなる。そして自分で体験して良かった、良くなかったという経験を積み重ねると観察眼も磨かれてくる。結果、未来で良店、良サービスを発掘するのに役立ってくれるのだ。
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自分はレビューを頼る人を批判する意図はまったくないが、レビューはあくまで他人の感想文に過ぎない。他人と自分の感性は大きく違う。年間にラーメンを100杯以上食べ歩くラーメン通が悪い評価をつけた店だって、素人が食べるととてもおいしいと感じる事はありえる。というか、他人の評価と自分が同じパターンは圧倒的に少ない。「常にマーケットの平均に好みがあう人」なんて世の中に存在しないのだ。
最近は正しいレビューを見つけるのに、レビューの山から発掘する作業に一苦労する。それなら自分の観察眼を磨き、良くも悪くも人生経験の一つとする方が良いのかもしれない。最後にレビューのおすすめの活用法は支払い後に見ることだ。「へー、他の人はそんな風に感じているんだな」と作品や商品を振り返る感覚で読んで楽しめるだろう。
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