憲法学者以外の方々からは、「戦後すぐに言ってくれれば篠田先生の憲法解釈は有力になったと思うのだが、今言われても・・・」とよく言われる。
後世の人物は、どんなに優れていても年配者に気を遣って黙っていなければならない、というのは、通常は学界ではあってはいけない態度だが、憲法論のような政策論となると、どうしてもそういう事情が発生してしまう。超高齢化社会の日本でそのような現象が起こるのは、自然なことなのかもしれない。だが、もちろん非常に残念かつ不幸な話である。
国会で意味不明な答弁が積み重なっており、訓詁学が論理的には整理がつかないレベルにまで達していることは確かだろう。知らないわけではないが、非常に残念かつ不幸な話である。
恐らく団塊の世代以上の方々は、憲法学通説が学説として間違っている、ということになると、自分の人生を否定されたような気持になるのだろう。「もし仮にそうなったとしたら俺の70年間の人生はどうなるのだ」という気持ちになるのも無理はない。
こうした方々が社会の多数派を占め続け、選挙の際の投票結果も決定する。そこでどうしても憲法論に手を付けられない。社会は変わらない。日本の停滞は止まらない。
今や憲法論は、高齢者の方々の気持ちをまず考慮する、という高齢者福祉事業に成り下がっている。
もちろんこれも空前の少子高齢化社会に突入している日本の厳しい現実の一つである。事態の行き詰まり感の度合いを過小評価するつもりはない。解決困難な極めて深刻な事態である。
いずれにせよ非常に残念かつ不幸な話である。