みずほ銀行を救った伝説の男はユニゾに転じてみずほにせっせと借金を返したようです。19年12月末のみずほのユニゾ向け融資残は463億円、これが22年7月にはゼロです。(但し、小崎氏は20年には社長を降りています。)興銀は企業に転じて日本の産業を支えるという使命感に満ちた銀行だったのですが、そんな美しいストーリーは80年代までであり、みずほはユニゾの借金返済をせまったのでしょうか?

みずほ銀行 同行HPより
19年の買収劇はドラマのような展開です。まず、東証一部で2000円以下の安値で放置されていた同社を見つけたのがHISの澤田秀雄氏。ユニゾに3100円でTOBをかけます。これに反対したユニゾは白馬の棋士として西武百貨店買収でも知られるフォートレスと組み4000円のカウンターオファーをします。これでHISは敗退したものの次にブラックストーンが買収競争に参戦意向を示したためユニゾは従業員による買収(EBO)を企てます。これがのちのち決定的な致命傷になります。「TOBトーナメント戦」の勝者はフォートレスでもなく、ブラックストーンでもなくなんと、従業員設立の会社だったのです。そのTOB提示額は6000円なのです。2000円以下の株を従業員たちが3倍以上の価格でどうやって買うのでしょうか?からくりがあります。
2020年6月に買収総額は2050億円で決着したのですが、日本初の従業員による上場会社買収とはいえ自己資金はほぼ形だけで2060億円をアメリカの投資ファンド、ローンスターから借り入れます。これが間違いなのです。つまりこれはEBOなんかではなく、ローンスターによるTOBであり、従業員は体の良い顔役だったのです。株価の3倍で買収したのですからPBRは買収時に計算上1.74ぐらいだったはずで買収敗者は確実でした。しかもローンスターは買収後半年ぐらいで2500億円を回収し、手を引くのです。前述のように興銀出身の小崎氏もみずほからの借り入れを全部返済し、みずほとユニゾの貸し借りの関係を終わらせています。つまり、2021年の時点で会社のうまみは全部吸い取られ、カスだけが残っていたのです。しかもコロナの真っ只中です。
では誰が損を被ったかと言えば前述の社債のホールダーである日本の地銀と残された従業員がババを引いたということなのです。
長くなったので総括します。
学びの宝庫とはどういう意味か列挙します。
大手銀行とアメリカの投資ファンドはあくどかったということ。 従業員によるMBOは普通は困難だということです。理由は経営は強いリーダーのもとに引っ張り上げる力がないと出来ないのに「皆で仲良く」となれば儲けは山分けという発想になってしまうのです。 企業買収の際のメザニーンローン(Mezzanine loan)は一種の独饅頭だと認識すべきでしょう。金融機関が買収資金として貸し付ける資金はメザニーンローンが多いのですが、返済が劣後する反面、金利がバカ高いのです。私が当地で買収した際もメザニーンローンが一部組み込まれましたがその金利を見てローンを3年以内に返済しないとこの会社は死ぬと思ったぐらいです。 みずほ出身の小崎氏は興銀が本来すべき企業の経営立て直しではなく、銀行都合のビジネスをした点である意味、影の主人公かもしれません。そういう意味では銀行マンとして最高の仕事をしたのでしょう。 今、PBR1倍以下の企業が話題になっていますが、同じようなことが日本企業では起こりやすいということです。
最後に、常和不動産は私の記憶が正しければ80年代、あまり良くない会社だったと理解しています。バブル当時、かなり無理をしていたとすれば興銀内でお荷物企業となっていたのではないでしょうか?とすれば興銀=みずほとしてはバブル崩壊後30年でようやく資金回収し、他の企業に負債1262億円を押っ付けたというのは言い過ぎでしょうかね?
非常に奥深い話だと思います。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2023年4月28日の記事より転載させていただきました。