また、伊勢へ行く途中の近畿日本鉄道では、弁当を召し上がられ、は神武天皇山陵を訪問されることが多いのでよく使われて貴賓室も駅にあるので、奈良県経由で伊勢へ向かわれたが、神社参拝に左派系のマスコミはいっちゃもんをつけた。

この訪日でいちばん女王が喜ばれたのが、ミキモトの真珠島見学である。この真珠への関心をみて、のちに日本政府から女王に大量の真珠の玉をプレゼントし、女王は四連のチョーカーにデザインし、女王もしばしば使われたが、葬儀ではキャサリン妃が使って話題になった。このあたりの話も上記の本で紹介している。

東京には東海道新幹線で戻られることになった。実は東京から関西へ移動されるときにもお使い頂くことになっていたのだが、国労がストライキを実施して中止させられていたのである。国鉄労働組合はそんなことするから壊滅させられることになったともいえる。

新幹線にも乗車するエリザベス女王 NHKより

JR東海が1994年に出した広告によると、エリザベス女王は名古屋駅で乗り込む際に『新幹線は、時計より正確だときいています』とおっしゃったそうだ。だが、大雨による徐行と一行の荷物172個を積み込むのに時間がかかったので発車は三分の遅れ。浜名湖付近で徐行し、富士川付近で富士山を女王陛下によくご覧いただくためスピードダウンした。

三島では三分遅れで、しかも、新幹線は速度が上がるとATCが作動し自動的に減速する。当時の規定速度は時速210キロだったので、ギリギリの時速209キロで走らせる運転士の職人芸に「時計より正確”な新幹線の威信」がかかった。東京駅前にあった国鉄本社5階の総裁室でも、諦めのムードが漂ったが、定刻に東京駅のホームに滑り込み安堵した。

また、エリザベス女王は、昭和天皇との会話は実り多いものだったようで、「女王は孤独なものです。重大な決定を下すのは自分しかいないのです。そしてそれから起こる全責任は自分自身が負うのです」「この立場について教えを受けるために地球を半周して来たのです。感謝で一杯です」などとおっしゃった。

当時の東海道新幹線 Wikipediaより