インパールの演歌歌手

 さて、戦争が本格化すると、各国とも前線の敵火力の射程内にまで進出して放送を行うために、大型スピーカーを搭載したスピーカータンクを運用するようになりました。拡声器で相手にプロパガンダ攻撃を仕掛けるという発想が無かったのは、日本軍ぐらいだったんじゃないでしょうか?

 イギリス軍がインパールで、「放送中は攻撃しないことをお約束します、終わったら攻撃します」と流暢な日本語で呼びかけ、日本の歌謡曲を熱唱した後、日本軍の部隊名を言い当て、正確な他の日本軍師団の状況まで伝えた後に威嚇射撃して帰る――という攻撃を何度も繰り返し、日本軍の士気を挫いた話は有名です。

 最前線で飢餓に苦しむ兵士達の唯一の楽しみは、敵が放送してくれる歌謡曲……というのはなんとも皮肉な話というか、そうなるようにイギリス軍がしかけた成果なのですけど。

敵から聞いた『真実』

 第二次世界大戦の大失敗作戦の代名詞ともなったインパール作戦において、「牟田口将軍をはじめ、司令部が連日、料亭通いで贅沢三昧の生活をしていた」とか、「女の奪い合いで将軍が参謀大佐を兵隊の見ている前で殴りつける乱闘騒ぎを起こしている」とかとんでもない伝説が数多く残っています。これが本当に事実なのか追求した歴史研究家がいるのですが、事実だという確かな歴史的一次資料は見つからなかったそうです。

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(画像=牟田口廉也 画像は「Wikipedia」より引用、『TOCANA』より 引用)

 前線で餓死寸前ながらも奮戦していた将校から兵隊までが、この伝説を戦後に証言しています。しかし、彼らのような最前線にいた人間が、後方にある司令部の腐敗ぶりを何時どこで知ったのかというと、イギリス軍の諜報機関が察知して最前線で行われたプロパガンダ放送から得た情報らしいのです。

 つまり、敵の言っていたことを信じただけで、誰一人として料亭や芸者の実物を見たことがありません。

 繰り返し放送を聞かされ続けることで、刺激に対する知覚情報処理レベルでの処理効率が上昇し、刺激への親近性が高まります。この親近性の高まりを、敵の放送自体への好意だと勘違いしてしまうのです。

 放送を繰り返し聞かされることによって、「司令部は料亭で芸者と贅沢三昧している」という概念が形成され、放送内容への既知感が上がってくると「幻想的な真実効果」によって不確定性が減り、好意度はますます上昇していきます。

 トドメに、自分が今直面している苦難の原因が上層部の無能にあるという現実がのしかかってくると、敵の言っていることを真実だと思い込むようになります。プロパガンダ作戦の完成です。

 そして、戦後になって敗戦の現実に直面すると、後知恵バイアスがかかり、「敵の放送から受けた情報が真実であった」と自身の回想がゆがめられます。

 こうして愚将・牟田口伝説が生まれました。