「ヴォイニッチ手稿」の所有者を辿る

 いつ誰が何のために、そして何語で書いたのか今もよくわかっていない、世界で最もミステリアスな写本と呼ばれる「ヴォイニッチ手稿(Voynich Manuscript)」は、1912年のイタリアで古書収集家のウィルフリッド・ヴォイニッチ氏によって発見された。

 いまだに完全には解読されていないユニークな文字と珍しいイラストで有名なこの本は今も多くの謎に包まれている。

世界最大の奇書「ヴォイニッチ手稿」のルーツを辿った結果…
(画像=画像は「Wikipedia」より、『TOCANA』より 引用)

 その内容の謎に加えて、ヴォイニッチ手稿の起源についてはほとんど知られていない。プラハの王室医師でもあったヤン・マレク・マルチ(1595-1667)によって書かれた17世紀の手紙のおかげで、同書の所有者を神聖ローマ皇帝ルドルフ2世までさかのぼることができる。

 手紙からわかるのは、ルドルフ2世は1576年から1612年の間のいずれかの時点で無名の売り手から金貨600枚で同書を購入したことだ。

 2011年にアリゾナ大学で行われた放射性炭素年代測定によって、ヴォイニッチ手稿に使用されている羊皮紙は1404年から1438年頃に作られたことが示されたことで、ヴォイニッチ手稿は15世紀初頭に作成されたと考えているが、ルドルフ2世以前の約150年もの間の所有者はこれまでよくわかっていなかった。

 しかし今回、ヴォイニッチ手稿のルーツについてもう一歩進んだ理解が得られたようだ。

 ドイツのブレーメン芸術大学のステファン・グジー氏は当時の神聖ローマ帝国の帳簿記録を精査した結果、ルドルフ2世の前の所有者が浮き彫りになったのだ。

世界最大の奇書「ヴォイニッチ手稿」のルーツを辿った結果…
(画像=ルドルフ2世 画像は「Wikipedia」より、『TOCANA』より 引用)

ルドルフ2世の前の所有者が浮かび上がる

 ルドルフ2世はヴォイニッチ手稿を金貨600枚で購入したことから、グジー氏は残されている帳簿記録から金貨600枚が動いた書籍に関連した取引きをしらみ潰しに検分したのである。

 7000日分の帳簿日報には126件の書籍の取引きがあり、その中で金貨600枚の動きがあった取引きは1件のみであった。その取引きこそがヴォイニッチ手稿を購入した時の帳簿記録であったことになる。

 帳簿記録によると、1599年に医師のカール・ヴィーデマンが一連の写本をルドルフ2世に金貨600枚分の金額で売却していた。

世界最大の奇書「ヴォイニッチ手稿」のルーツを辿った結果…
(画像=画像は「Wikipedia」より、『TOCANA』より 引用)

 付随した記録ではこのコレクションは「注目に値する、希少な本」であり、小さな樽で運ばれたことが言及されているという。ルドルフ2世がヴィーデマン医師から金貨600枚で購入した書籍コレクションの中の1冊にヴォイニッチ手稿が含まれていたのだ。

 ではヴィーデマン医師の前の所有者は誰だったのか。

 実はヴィーデマン医師は有名な植物学者レオンハルト・ラウヴォルフ博士(1535-1596)のアウグスブルクの家に同居していたのである。

 ラウヴォルフ博士が亡くなり、その未亡人も亡くなると、事実上は屋敷の主となったヴィーデマン医師は、家に残されたラウヴォルフ博士の蔵書コレクションをちゃっかりと(!?)宮廷に売り込んだという。

 本のコレクターでもあったルドルフ2世はそれらの蔵書に興味を持ち、金貨600枚という大金で買い取り、その中にヴォイニッチ手稿があったのだと考えられるということだ。

世界最大の奇書「ヴォイニッチ手稿」のルーツを辿った結果…
(画像=画像は「Wikipedia」より、『TOCANA』より 引用)

 ではラウヴォルフ博士はどうやってヴォイニッチ手稿を入手したのかという飽くなき疑問が湧いてくるが、それについては今後の研究の進展に期待したい。

参考:「The Art Newspaper」ほか

文=仲田しんじ

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提供元・TOCANA

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