もちろん日本の大学で英語の授業でもいいですが正直、英語で教鞭をとれる日本人の先生は非常に限られています。また、私が過去2年間、UBCの日本研究のオンライン講座を10数回取った限りでは日本の先生は賢いし、良い意見も言うのですが、英語が下手なのです。下手というのは通じるし、文法もいいのですが、プレゼンテーション能力が極めて劣っていて、自己主張を早口でまくしたてたり、まるで抑揚のない棒読みのような発言をする方など正直言って聞き手に印象を与えないケースが多かったのです。
さて、大学経営です。私が見る限り、多くの大学は一般企業と同じ、儲けることを主眼としている節が見て取れます。また、教育者は聞こえがいいですし、〇〇大学の理事長なんていうとそのあたりの企業の社長さんとは別格の雰囲気になったりします。多くの方は大学経営の組織を理解されていないと思うのですが、理事長は経営者で寄付金や文科省の補助金などを扱い、学長が教育のトップです。どちらが偉いかと言えば一般には理事長です。
もしも私が大学を作るなら落第生が5割出ても驚かない大学にします。その大学の卒業証書をもらったら真の意味で社会に役立つ学生を養成します。但し、日本の社会では落第=失敗者という烙印を押されるのでその救いの道として大学に併設して技能養成専門学校を作り、2年目が終了した時点で落第生はそちらに転籍し、役に立つ技能を身につけ卒業するというルートを作ります。卒業の証には「お前、総合科卒なの?おれ、専門科だよー」という会話になることが想定できるでしょう。
大学を卒業して40年も経った今だから思うのですが、大学で学んだことはとても抽象的でありながらも社会活動をするうえでの基礎だったと思うのです。私はそれに気がつき、基礎を応用しながら自分の社会人としての生活に役立てることが出来ました。多分、多くの人はそれに気がつかないと思うし、大学時代に勉強した記憶すらない人が多かったりするのでしょう。
日本の某大学で国際、グローバルを学ぶ学科が4月に新規開校になったのでその責任者とよく話をしています。初期チームに幼児英語教育がバックグランドの方が入っているので「なぜですか?」と聞けば「今の大学生なんてそのレベルの英語しかできないということですよ」とあっさり言われたのに驚きを隠せませんでした。
その点、5割が落第する大学は真の強さを育む大学になると強く思った次第です。日本もそのうち新入社員一括採用は廃れてくるとみています。外国人社員も増えてくる中で新たな競争社会が必ず復活してくると思います。それに備えるには今から準備をしないと間に合わないとも言えないでしょうか?
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2023年4月23日の記事より転載させていただきました。