バチカンメディアの閉鎖性を破ったのは聖職者の未成年者への性的虐待事件だろう。アイルランド教会、米教会、オーストラリア教会、フランス教会など世界のカトリック教国で聖職者の性犯罪が次々と暴露され、教会内外からの批判が高まり、バチカンは沈黙を続けることができなくなってきたからだ。同時に、ベネディクト16世、その後継者フランシスコ教皇も聖職者の不祥事に対して対策を強いられてきた。それを受け、バチカンのメディアは次第に報道の自由を得てきたわけだ。
興味深い点は、カトリック教会聖職者の性犯罪問題で最も厳しい批判は、神の義を伝える聖職者が性犯罪を犯したというモラル問題以上に教会が不祥事を知りながら「隠蔽してきた」ことに向けられていることだ。教会のスキャンダルを隠ぺいしてきた教会上層部、最終的にはバチカンに信者ばかりか社会の怒りが高まっていったわけだ。南米出身のフランシスコ教皇が聖職者の性犯罪に対して、教会指導部へ通知義務の強化、教会法に基づく制裁など、教会の隠ぺい体質の転換に腐心しているのは当然だ。
その結果といってはおかしいが、バチカンのメディアは聖職者の性犯罪問題に関しては非常にリベラルとなってきた。暴露記事、スクープ記事といったものは期待できないが、バチカンニュースはバチカン・ウォッチャーにとって有力な情報源となってきているのだ。
例えば、人口の1%以下のキリスト信者(カトリック信者はそのうち、半分ぐらい)しかいない日本のメディアではカトリック教会の聖職者の性犯罪問題が報道されることは過去、ほとんどなかったが、状況は変わってきた。聖職者の性犯罪件数が余りにも多いこともあるが、バチカンメディアが積極的に報道するようになってきたからだ。ちなみに、バチカンは「秘密の宝庫」と呼ばれてきた。それだけに、今風にいえば、バチカンメディアが面白くなってきたのだ。
いずれにしても、フランシスコ教皇の過去10年間の在位期間、バチカンメディアは聖職者の性犯罪問題で積極的に報道し出したことは事実だ。この傾向は今後も続くだろう。ただ、バチカンメディアが依然躊躇しているテーマがある。バチカン指導部内の改革派と保守派間の熾烈な争いだ。
フランシスコ教皇は昨年から今年に入りスペインやイタリアのジャーナリストとのインタビューに積極的に応じている。そこでフランシスコ教皇は失言もあるが、自由に教会の改革案を述べている。一方、バチカンメディアはそのインタビューの内容を大きく報じることで、教皇庁内の改革派と保守派の争い問題を間接的に伝えようとしているのだろう。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年4月22日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。